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 その16 中絶について

望まない妊娠をした場合、中絶出来る可能性が概ね保証されている日本では、中絶問題がさほど激しい政治議論の対象になるとは考えにくいかもしれませんが、教会勢力がまだ健在な一方で、フェミニズム運動の社会的影響力もかなり強いヨーロッパでは、キリスト教的生命感の尊守か、あるいは女性の自己決定権の尊重かという原則をめぐって、長く激しい論争が続いています。現行の日本の刑法においては、受胎後三ヵ月以内で母体に危険を及ぼす恐れのある場合のみを除いては、刑罰の対象となっており、厳しい制裁が課せられます。(ただし、殺人罪には該当しない。民法では、胎児も一個人として、相続権を認められているのだが・・・。)しかし現実には、大人の勝手な都合によって、堕胎が行なわれているのが慣例です。言わば殺人にも等しいこの行為であるにも関わらず、中絶をする女性が後を絶たないのは、いわゆる社会から望まれることなく産まれ落ちるであろう子供達の行き着く先、つまりは反社会的行為や流浪化といったものを苦慮しての、政治的な保証を国が付与する自信が無い事に起因しているとも考えられます。

一般的に、発展途上国ほど出生率は高く、人口爆発による食物連鎖の崩壊によって起こる食料飢餓が、貧乏人の子だくさんとして教育水準の低さを物語る代名詞に使われているわけですが、抜歯同様、中絶が日常茶判事的に行なわれている日本においては、教育水準が高く、知性・教養あふれる人格者が多いが為に出生率が低いのだという苦しまぎれの理論には、全く別の次元の話しであると言わざるをなりません。

先の湾岸戦争で、一説に因ると六十万人のイラク兵が戦死したそうですが、これなどは、その事自体が人口爆発を起こさせない経済的な配慮であり、地球汚染による人類滅亡の危機を防ぐ政策なのです。単刀直入に申しましょう。戦争とは言わば人類の合法的な ”間引き”であり、人間が食物連鎖の頂点に位置し、資源に限りがある以上、人間を処分するのは人間であるという結論に到るのです。(これは賛否両論、分かれるところだろう。)

しかしこれには同時に別の理論も存在します。つまり親が子供を殺すのが自由であるならば、子供が親を殺すのもまた自由である、という考え方です。その証拠に、日本では尊属殺人の刑が減刑される事になりましたし、寝たきり老人の介護に疲れて息子が親を餓死させたとか、そういう事件がこれからどんどん起こって来る事になるでしょう。いよいよ高齢化社会を迎える事になるあなた方にとって、それは正しく ”揺りかごから墓場まで”ではなく、”ゆりかごから叔母捨山まで”という事になるのかもしれません。


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