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その18 教育現場の実態
本来学校は、将来において自立するに必要であろう技術と知識を学ぶべきものであり、そういう意味では、現場での労働作業そのものが学校でした。然るに現在では、学校が社会から遥かに隔絶され高い塀に囲まれた、教師の逃げ場になっている感があります。その上財政的制約から、一教室における生徒の収容人数が40人を越える所もあり、個々隅々まで目を配ることは不可能な状態です。また、規定の枠の中にはまり切らないルール違反の生徒には、規律を守るために、どうしても校則で罰する事になるのが現状です。実際、数多くの生徒を50分間机の前に縛り付けておく為に、飽きが来ないよう、身振り手振り、或いは話術を駆使して楽しませるといった具合に、受け持ちの教師にかかる負担は膨大なものになっています。更に犬も歩けば大学生に当たると言われるほど大学生のインフレ化が起こっている昨今、例え辛い思いをして卒業したとしても、はたして本当に就職出来るかどうかも分からない不安や未来における目標の喪失から、多くの中途退学者を出しているのも現実です。薄暗い校舎の中にいるよりは、寧ろ早くから社会に出た方が学ぶべきものが沢山ある場合もありますし、大学の教授などは自分の講義に出て来るよりも、アルバイトを薦められる人もいるくらいです。ある英語の先生などは、授業に出て来た生徒が代返をしたことに腹を立て、「世の中には学校の中よりも、寧ろ実社会に出てこそ学ぶべきものは多くある。従って、授業に出てこなくても、自分で何か大切な事を別な所で学んでいるのならば、それはそれで良い。しかし高い教育を受けた大学生たる者が嘘をつくとは何事か。私はそれに対して怒ったのである。」と言ったそうでした。
あと問題として挙げられる点は、家庭と学校の役割分担が、効率的に行なわれていないことです。特に夫婦共働きの核家族の場合、とかく父親の影が薄く、昔のように家庭で礼儀や躾を学び、学校で専門的知識を教わるといった、二本柱の教育構成が成り立ってはおりません。とりわけ日本では、検定教科書を用いたカリキュラムが厳格に組まれていますから、その時期その地域に対応した、柔軟な学校造りというものが出来ないわけです。教科書選定の際にしても、教科用図書検定規則による国家の教科書管理が行なわれ、イギリスの様な自由採択制度を取ることが出来ないのです。これらは全国一律に、偏りのない、高い教育水準を施そうとするものなのでしょうが、そのことが、生徒の個性の欠如、画一性をもたらしていることは、誰の目から見ても疑いのない事実です。それに加えて南京虐殺や東南アジア支配など、その歴史的描写が微妙に改竄され、誤った史実を全国の生徒に与えているという点も見逃してはなりません。
そもそも教師とは、生徒が選ぶべき人生の選択肢について、適切な助言、指導をなすものであり、最終的な進路決定は自分でなさなければいけないわけです。それを偏差値によって進むべき方向を輪切りにしてしまうというのはいかがなものでしょうか。企業が自社の費用で社員教育を行なわないのは、それが実を結ばない時のリスクを考えて、学校という教育機関に人材育成を委託するのでしょうが、いくら学校が授業料の対価として知識を与えるサービス機関とはいえ、あまり学校のレジャーランド化ばかり考えず、将来性の見込のない生徒は、時には切り捨てるだけの勇気を持つことも必要なのではないでしょうか。そうでなければ、実学的な勉強を学ぶことのできる専門学校に、生徒はどんどん流れていってしまいます。子供が減少していく21世紀においては、中身のない大学はすぐさま潰れて行く事になるでしょう。
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