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その8 個性的教育
よく大学の入試で、偏差値より個性とか言って入試科目を減らしたりする学校がありますが、あれでは逆に、その減らした科目しか出来ない、真に画一的な非個性的な生徒しか入ってこなくなりはしないでしょうか。そんなに個性的な生徒が欲しいなら、もっと入試科目を増やした上で、英語とか数学だけで人を判断するのではなく、美術や音楽、その他色々な科目を取り入れて、自分の好きな科目で受験出来れば良いはずです。適材適所の観点から見ても、できる生徒は飛び級でどんどん進級させた方が良いでしょう。入学にしろ入社にしろ、いっそのこと白い紙だけ渡して自分の好きなものを書け、と言うのはどうでしょうか。丸暗記だけしかやっていない人には、おそらく何も書けないはずです。それに個性ある生徒を発掘する為、内申書だけで合格させる学校があるようですが、それもあまり意味は無いでしょう。なぜなら個性的な生徒に、人間関係のいい奴なんていないからです。そんな個性的な生徒が到底面接官と仲良く出来るとは思えません。
そう言えば、昔どこかのモデル校で、一流の講師を取り揃え、チャイムもない、出欠も取らない、完全自主性の授業形態を取り入れたのですが、結局、しまいにはムチャクチャになった見たいです。結局、個性なんてのは、ごく一握りのエリートにしか必要無いわけですし、変に歪んだ個性を植え付けたりすると、返って辛い目に会う筈です。なぜなら工場のオートメーションでロボットのように働く労働者にとって、個性なんてものは全く必要ないからです。逆に経営者にしてみれば、そんな奴は使い使い辛くてしょうがないでしょう。もしその会社が ”攻め” の経営であるならば、これほど心強い味方はいないでしょうが。
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