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 その1 日本式経営とアメリカ式経営

日本企業とアメリカの企業では、その経営体質に大きな違いがあります。もともと英語には厳密な意味での敬語というものがありませんから、社長でも、平社員でも、基本的には全ての者が平等です。その代わり、競争はそれだけ激しくなります。仕事の出来る人は多額の報酬を貰うことが出来ますが、出来ない人は直ぐにレイーオフされるでしょう。つまり、全てが契約で成り立っているギブ・アンド・テイクの世界という事です。御承知の通り、アメリカは人種の坩堝(るつぼ)と言われる多民俗国家ですから、全てがクールでドライな個人主義が浸透してしまう事になるのでしょう。例えばタバコ一つにしてもそうです。向こうはいつ何時、誰が隣に引っ越してくるか分からないわけで、あるときはイスラム教徒、またあるときは仏教徒でもある。だから、日本人のように以心伝心、死ぬときはいつも一緒といった同胞意識は薄いわけです。ですから賛成ならばYes、反対ならはっきり”No”と自己の意志を表明しなければ、結局ズルズルと被害を被ってしまうわけです。もしあなたが勝手に隣でタバコでも吸おうなら、お前は俺を殺す気かと、すぐに裁判に訴えられる筈です。ですから、もし、あなたがアメリカでタバコを吸う時、隣に誰か座っていたら、せめて一言”May I smoke ?”ぐらいは言っておいた方がいいでしょう。(とは言うものの、怒るのはもっぱら女性の方で、男性はニコニコ笑顔を作って、自分には敵意が無い事を、相手にアピールするのが普通である。)恐らくアメリカは最も貧富の格差の激しい国でしょう。プールサイドで寝そべる金持ちもいれば、路地裏で死んでいく老人もいる。犯罪が多いのも頷けます。フロンテイア精神で培われた、徹底した競走社会という事です。

一方日本では、まこと事細やかに敬語の使い方が詳細に規定されています。言葉だけでなく、上司と部下の間での態度、目配せの仕方、はたまた御辞儀の角度まで、実に様々です。日本は終身雇用制であり、一旦入社すればまず、おまんまに食いっぱぐれる事はありません。いくら偉い社長でも、平均すればせいぜい5、6千万、いくら金にならない駄目社員でも、最低賃金は保証されております。結局、お前みたいな駄目な奴にもおまんま食わしてやってるのだから、せめて敬語でも使ってお辞儀くらいしたらどうなんだ、という事になってしまうのでしょう。勿論悪い面もあります。社長が親で、社員が子供、家族的な雰囲気といえば聴こえは良いのですが、特にこれが公共機関とかになると、X非効率、つまり、市場メカニズムによる競合性が働きませんから、いくら人数を増やしても能率は上がらず、だいたい8時間で収まるように口数を合わせてしまうわけなのです。たいして実力もない、いい加減でくだらない似たもの同志ばかりが集まって、要領のいい、事なかれ主義の適当な人間ばかりが昇進する一方、真に実力のある者が疎んじられて出世も出来ない、従って給料も少ないという事になってしまうのです。日本の企業の中で、ぬるま湯的体質に長い間浸かっているうちに、不況、不況、とか言ってあっけなく潰れてしまうのですが、それも自業自得といった所でしょう。

まあ、アメリカと日本とどちらがいいかは一概には言えませんが、私に限って言えば、日本の企業はもううんざりといった感じです。多分、外国人労働者も、こういう歪んだ家族愛的ムードを嫌うのではないでしょうか。しかし自堕落な人にとって日本は最高の天国です。例えやってる事が良いことであろうが、悪い事であろうが、適当に上司を煽(おだ)てて御機嫌を取っておけば、それで我が身は安泰です。あまり口数の多い人は生意気だとか言われて、よほど立派なことでも言わない限り、まず左遷か首になるのは間違いありません。結局出世するような奴というのは、駄目な奴を振り回せるだけの傲慢な人とか、良心のかけらも無い厚顔無恥の分厚い面の皮を持った人ばかりとかで、正義感からついつい口をはさんでしまう様な真面目な人が損をするわけです。ですから、実力のある人は、早いうちから独立した方がいいと私は本当に思います。

ただし、小心者は考え直した方が賢明です。なぜなら、彼らにとって立ち止まって考えることは自分の死を意味するわけで、何も考えずに会社に盲従する方が、身の保全に繋がるからです。ひたすら暗記をすることをよしとする本能を、小さいときから身に付けている彼らにとって、レールを飛び出す行為は自殺行為になるからです。とは言え、誰も批判する者、注意する人がいないわけですから、いったん暴走し始めるともう最後、熱帯雨林は切り倒すわ、工場廃液は垂れ流すわ、しまいには天皇万歳とか言って集団自決とかするはずです。赤信号、みんなで渡れば恐くないというやつです。もうこの際ですから、行き着くところまで行ってみては如何(いかが)でしょうか。


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