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その10 脳死における臓器移植について
極端な話、本当に心の底から感謝をして涙を流してくれるのであれば、腎臓だろうが肝臓だろうが何だっていいのでしょうが、もし自分の身内が脳死状態で病院に駆けつけて、医者から威圧的に求められれば、誰でも断わる事は出来ないでしょう。雰囲気的に。提供する相手が、自分の家族の死を心から悼んでくれる人なのかどうか、一度は自分の目で確認しておきたいと思うわけです。少しだけという事でで承諾したにも関わらず、いざ遺体が家に帰ってきた時、まるで鶏肉のように身体中の皮膚をはぎ取られているのを見れば、大抵の人は自分のした事は、はたして本当に良かったんだろうかと悩み苦しむと同時に、医者に対する不信感を募らせていくのが普通です。もともと日本人は商才に長けていますから、臓器移植が緩和されれば、まるでボジョレーヌーボーの様に、生理食塩水漬けになった腎臓や肝臓をチャプンチャプンいわせて、世界中から航空便で輸入してくる筈です。脳ミソ以外は全部他人のもので、しまいには一体私は誰なんでしょう、という事になるわけです。
基本的に、自分の体も大切にできない様な人に、他人の体を大切にする事が出来るでしょうか。酒やタバコはやりたい放題、挙げ句の果てに腎臓がボロボロになって、じゃあ、他人の物を頂いてこようなどという、そんな甘い話しはありません。これはある医者が話していた事なのですが、人間の遺伝子には、最初からガンを誘発するような因子が元から組み込まれているそうです。人間は死なないといけないのです。遅かれ早かれ・・・。そうでないと世代交替が行なわれなくなってしまうからです。神は、人間を創った時点でもう既に、人に死ぬことを運命付けていたわけです。人間がもし、死ぬ事さえも許されない生き物だとしたら、おそらくこれほどの地獄は無いでしょう。臓器の提供を受けた人の命は、もはや彼一人の物ではありません。提供してくださった方に報いるためにも、意義のある人生を歩まなければならないのです。人の恩を踏みにじるような真似だけは、決してしないで欲しいものです。
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