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 その11 メディアと所得

よくアメリカのバスケットボール選手とかで、数十億円の年俸を貰う人がいますが、裏を返せばそれだけ黒人が搾取の対象になっているという事でしょう。花を持たせて懐柔しているのではないでしょうか。その点、私はボクシングが大好きです。見てて気持ちが良いのです。ほかのスポーツでは無理に作ったようなヒーローを押し付ける所がありますが、ボクシングは好きな者しか見に行きませんから、本音で闘い合う事が出来るからです。例えばタイソ○自身は、自分が人格者だとは少しも思っていないし、だからこそ、コールガールを数人まとめて失神させたりもする。逆に潔(いさぎよ)いというか、返って気負いする事無く、高いお金を出して見に行こうかという気持ちになるからです。( 因みにドン・キ○グ プロモーターは過去、殺人罪で数年間、服役している。)これが空手などになると、人格的な面もあれこれ言われる事になるのですが、純粋にパンチ力のみを追求するのであれば、ボクシングは最高のエンターテイメントでしょう。余談になりますが、タイソンと結婚していた元モデルは、タイソンが家に居ない時、彼の可愛がっていた子犬を、"タイソン、タイソン" と呼び捨てにして馬鹿にしていたそうです。それがタイソンに見つかって、頭に来た彼が彼女の事を少し叩いたそうなのですが、それが元で全財産の半分を持って行かれてしまうのですから、何とも気の毒な話しです。

気の毒といえば、落合も気の毒と言えるでしょう。なぜなら野球は彼の様な個性的な人間を受け入れる場所が無いからです。(ただし、私は彼の実力は高く評価している。)彼は本々野球バカですから、スポンサーや地元とのしがらみが強く、演技者・俳優としての能力さえも要求されるセ・リーグより、野球本来の実力だけで勝負の出来るパ・リーグの方が向いていたのではないかと私個人としては思っております。つまり、セ・リーグの選手は視聴率アップの為に、振り分けられた主役、わき役の役柄を、その場その場でドラマチィックに、且つ効果的に演じ切らなければならないという事なのです。それがプロの宿命なのだ、と言ってしまえばそれまでですが・・・。しかし、セ・リーグ=実力皆無・商売重視、と言っている訳ではありません。例えば長嶋監督の様に天覧試合の時にはバンバン、ホームランをかっ飛ばす、逆に対戦相手のホーム球場では、ひょうきんなエラーをして客のプライドを傷つけないようにする、といった粋な演出は、裏を返せばそれだけ野球選手としての相当の実力がなければ、為し得ない訳です。まあ、この辺は結構、微妙なさじ加減というものがありまして、実力の無い選手がわざとらしい演出をすると、返って逆効果になってしまう事も忘れてはいけません。

本来、本当に強い奴というのは、あまりでしゃばりたがらないものです。例えば空手の大会などでは、常に外人が勝ちますが、これなどは日本人の中に空手はあくまで自分の身を守る為のものであり、それを見世物やショーにして金儲けの手段に使うのはけしからん、という古風な考え方持っている人が未だに多いからであり、もし外国人より強い者を捜そうと思えば、幾らでも見つける事は出来るのです。それに自分のしているスポーツがたまたまブームになって有名になる人もいますが、本人は名誉とかお金とかは、あまり考えずに、好きでコツコツ練習しているだけの話しであって、それを見て自分も金持ちになりたいと思って練習を始めても、うまくなった頃にはもうブームは過ぎ去ってしまっているのですから無駄損です。

同様に、ハッタリをかますのが仕事である究極の職種が芸能人でしょう。一般に芸能人というものは、大概、画面の外ではフツーの人が多いもんです。(と言うより寧ろ標準より劣っている場合が多い。)世の中はほんの一握りの支配する者と、大多数の支配される者で成り立っているわけですから、下層階級の人から見れば、自分と同じ人間がテレビでスポットライトを浴びて、女の子に囲まれてる姿を見れば気持ちがいいというわけです。これは後で詳しくお話しすると思いますが、特に日本は凡人を中心にして全てが廻る、凡人天国の国ですから、この傾向は他国に比べて遥かに顕著に現れます.例えば、たけ?軍団なんてのは、その典型例と言えるのではないでしょうか。聞いた話しによると、井出ら?きょはソープの常連だったそうです。ひょっとすると、タレント議員もこれらと同類かもしれません。彼らの中でスキャンダルを起こした人が、何で人のプライバシーまでとやかく言われなければいけないのかと文句を言う人がいますが、虚飾で飾り立てようとする者がいれば、そのばけの皮を剥ごうとする者がいるのは世の常、仕方の無い事と諦めるしかないでしょう。因みに私の親などは、NHK以外のテレビを見ると馬鹿になるとか言われて民放のテレビを見せて貰えませんでした。人間たまには息抜きも必要ですし、何もそこまでしなくてもいいではないですか。

しかしながら、この様な凡人を中心にした社会造りをしていると、次第次第に質の低下が進みます。それ故、その質の低下を防ぐ為、芸能人が画面で活躍すればするほどに、それに反比例するかの如く学歴偏重主義が蔓延する事になるのですが、結局、その受験競走が厳しくなればなるほど、益々バラエティー番組に救いを求めるという、言わば悪循環構造が成り立っているわけです。読者の方にも恐らく経験があるでしょう。かれら芸能人達が、世の中のモラルや道徳を、ああも見事に画面の中で破壊してくれたその時に、何かスカッとした事はないでしょうか。いわば彼らは芸能人は、実社会では決して許される事の無い行いを、テレビの中で何の躊躇(ためら)いも無く果たしてくれる、所謂(いわゆる)我々の欲求の代理人であるわけなのです。そして、それは当に足先が泥水で汚れると、後はもうどうにでもなれと言わんばかりにそこいら中を転がり回り、自らの全身を泥だらけにし、自分の体を痛めつける事さへ逆に快感に感じてしまう、滅びの美学でもあるのです。アダルトビデオ辺りになると、もう完全にイッちゃってます。後はひたすら快楽を貪り食う飢えたメス豚とでも言うんですか、しまいには笑いがこみ上げて来るわけです。とは言え、こんな汚れた私でも、綺麗で可愛い女の子がビデオに出ているのを見ていると、結構苦しんでしまうのです。(笑。)

しかし同じお笑い芸人の中でも、ビ○トたけしはとりわけ息が長いではないですか。元々人から笑いを取るには、自分をけなすか他人をけなすかの二通りしか無い。ところが彼の場合、最初は人をけなしてばかりいるのですが、その内、じゃあ、お前は何なんだと、けなされた相手から非難される様になって来る。すると途端に手の平を返したように、今度は縫いぐるみとか着込んで愛想を振りまき、すかさず笑いを取るのです。何だコイツ、可愛い奴じゃないかと、ほとぼりが冷める頃合いを待った後、暫くすると、また人をけなし始めるわけです。憎めないというか・・・。まぁ、テレビというのはその人の能力を実際以上に万能視させる効果がありますから、(それに最初に気付いたのは、何を隠そうあのヒトラー自身である。)下手に救世主に祭り上げられて、後で堅苦しい思いをするのが嫌なのでしょう。だからテレビで彼を褒め讃える報道をした後は、必ず軍団を引き連れて、決まった様にバカやらかすのが彼の作戦でもあるのです。ひょっとすると彼はヤケッパチや滅びの美学を上手く演出する事の出来る、実に計算高く計画性のある人間ではないのだろうか・・・。でも彼は事故に遭いました。多分、天罰が下ったのでしょう。

そうだこうだとしてる内、そういう番組ばかり作るのは、人権侵害じゃないのか、とPTAとかから非難を浴びるわけですが、それでは仕方がないというので、今度は日光から猿を連れてきて、それをネタにして笑いを取ろうとするわけですから、しまいには、ほとんど情けなくなって来るというものです。これでは当に、猿件侵害になってしまいます。結局、こういう人がテレビのC・Mを見て、ヴァーナルの石鹸を買ったりするわけです。いっそのことタバコのパッケージのように、”この番組はあなたの人格を害する恐れがあるので、見過ぎには十分ご注意下さい。”などと書いてみられては如何でしょうか。人は誰だって気に食わない奴を殺してやりたいとか、欲しいものをタダで手に入れたいとか思うわけですが、そういう法では許されていない行為を本人に代わってやってくれるのが、漫画やテレビの主人公、つまり代替ヒーローとなるのです。夢を見させて貰っていると言えばそれまでですが、私から見れば、あれはただ単に、視聴者をオチョくっているとしか思えないのですが、皆さんはどうでしょう。

そもそもチャンネルを変えるのはあくまで視聴者の自由なのですから、見たくなければ切ってしまえば良いわけでが、しかしそれにしても今のテレビを見るにつけ、まるでアテネ末期の衆愚政治を見ている様ではないですか。もともと日本人は、宗教上の罪と、法律上の罪を混同している感があります。日本語ではどちらも同じ罪ですが、英語では前者を”sin”後者を”crime”と、明確に区別しています。本来法律の上での罪は、他人に対して危害を加えた行為における罰則ですが、宗教上の罪では、自分自身を傷付ける行為も当てはまります。つまり法律上、殺人は他人に対する攻撃ですから罪になりますが、”姦淫”や”淫行”といった行いも、自分やその家族に対する冒涜行為になるわけですから、それはそれで重大な罪になり得るわけです。ではいっそのこと、そういう類の物を一切禁止してしまえばいいではないかという事で、昔アメリカで禁酒法が制定されたのですが、その結果、逆に犯罪が激増してしまいました。結局この法案は、僅か一年で撤廃される事となりました。まあ、こういうものは、別に他人に対して危害を加えたわけではないし、自分の体を傷付ける事くらい、自分の勝手ではないか、という理論も成り立つわけですが、ただ、そういう事を聞いて気分を害する人も多いでしょうから、もしやるんだったら、陰で分からないようにやって欲しいものです。

ところで、N?Kなんてのは、確かにドキュメンタリーや教育番組を造らせれば天下逸品ですが、あそこの作ったバラエティー番組ほど世界中でつまらないものは無いと思われた事はないでしょうか。権威主義が強過ぎて、何かこう鼻持ちならないというか・・・。ひょっとしてピ○クレディーが無理矢理解散させられたのは、紅白に出なかったからなのかもしれません。まあ、バラエティーぐらいで世の中ひっくり返るとは思いませんが、社会のことを真面目に考えている有識者の面々が、路頭に迷うような社会が本当に正しい社会なのだろうかという議論が起こるのは至極当然の事です。例えば麻薬や武器の製造も、需要があるから供給があるわけで、だとすればそれも立派なビジネスという事になってしまいます。ですから私は市場経済に全て任しておけば、万事うまく行くとは思いません。こういう場合はやはり政府が市場に介入していって、強制的に資本の再分配を行なう必要があるでしょう。よく日本は規制が多すぎて自由な取引を疎外していると言われますが、アメリカに比べれば寧ろ日本の方が案外、健全な経済活動をしているのではないでしょうか。その例として資本主義社会のアメリカでは、連続殺人犯や麻薬常習犯が自分の半生を記した自伝を書いて、それが売れて印税で大金持ちになってしまうわけですが、これなども市場経済の原理に、実に即した現象なのです。ですから、もし私が人殺しも平気で出来る人間ならば、今直ぐアメリカへ飛び立って、強盗殺人でもやってみようかと思うのです。それは冗談として、古い伝統工芸や職工は、採算は度外視してでも国が保護をすべきでしょう。

しかしながら、いくら利潤を上げたからといって、それをごっそり税金でもっていくのはどうでしょうか。日本は累進課税制度を採用していますから、所得が増えれば増えるほど高税率になるのですが、真面目に働いて富を築き上げた人からすれば、納得がいかないのは当然です。これは労働意欲の減退をもたらすだけであり、そんな物は社会主義以外の何物でもありません。財産の所有そのものが罪になってしまいます。そこで考えたのが貢献度別課税制度です。これはつまり、仕事の内容を社会に対する貢献度に応じて、階級分けしようとするものです。例えば教職・研究機関1、物流に貢献しているという効用の半面、排ガス・騒音による不効用を差引きして運送業2、その他社会モラルの反する面が大である産業3、といった具合です。では実際に計算してみましょう。ここではそれぞれのランクの課税率を以下のように決めておきます。1→20% 2→40% 3→60%獲得した利益がそれぞれ1000万だとすると、納税額は、研究機関200万、運送業400万、その他600万となるわけです。でもこれは、ほとんど実現不可能でしょう。職種の貴賎を数値化する事は、大変勇気のいる事だからです。しかし、これと似た様なものは現在にもあります。例えばタバコ税や酒税は高率であり、国の税収の大きな部分を占めています。ですからタバコを吸っている人に、「おれ達のお蔭で道路の建設費が賄われているのではないか。お前も道路を利用するくせに、文句ばかりを言うのではない!」と言われれば、全くその通りです。オランダなどは、麻薬の製造を合法化しております。いっそのこと日本も麻薬を合法化してはどうでしょうか。ただし課税率200%です。これなんか100円儲かったら200円税金を支払わなければいけないわけですから、よほどの慈善事業家でもない限り、手を付ける人はいないでしょう。でも社会は競走が激しいですから、みんな商法なんか結構無視してやってますし、それを強制するところもあるわけです。法を犯してまで金儲けをするつもりはないなんて格好いことでも言おうものなら首になってしまいますし、その辺は臨機応変にそれぞれ生きてみて下さい。この世に命あってのものですから。


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