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 その13 精神論と結果論

日本人というのは、どうも精神論に走ってしまう傾向がある様です。例えば、テストの答案を何の苦もなく解いて見せる生徒よりも、苦悶、悶絶、悪戦苦闘する生徒の方を、より絶賛するわけです。確かにそれも一理あるのですが、これが度を過ぎると、普段ゴロ寝ばかりしていた人が、急にマラソン大会に出る事になった時、終始最後を走っていたにも関わらず、ゴール間際の人混みの中、一芝居打ってはゼーゼー息を吐きながら、観衆から拍手喝采応援を浴びた上、努力賞を貰って人気者になるわけです。これはかなりオーバーな例かもしれませんが、仕事でもこういうのは結構多いのです。小学校や中学校までは ”われー!”とか ”こらー!””てめー!”とかそういうのがある程度通用しますから、乱暴な言葉で脅しを掛けては人に使い走りをさせる事も出来ますが、いざ社会に出てみると、人に頭をペコペコ下げなければいけないわけですから、それはしんどいのは当たり前でしょう。実力もないのに人の上に立たなければ気が済まない性格なので、本人にとっても辛いでしょうし、それだけならまだしも、顔面を引きつらせては気色悪いオーラを体中から発散させるものですから、廻りの人達にも迷惑を掛けてしまうわけです。それを企業の幹部が見て、”おお、がんばっとるのー。”などと言っては、リーダーに取り立てたりするものですから性質(たち)が悪いのです。

才能のある人がそんな上司の下で働くことにでもなったら最悪です。仕事をやればやるほど怒られるのですから。効率良く仕事をする事が正しい事だと教えられてきた人々は、最初、戸惑うわけです。結局、サボってもいけないし、上司よりも仕事をやり過ぎてもいけない。そしてやがては適当にやるのが一番だという事を悟るのです。その内ワザとらしくのたうち回って、ヨダレ・鼻水をタラタラ垂れ流しては相手に花を持たせて上司のゴマをするわけです。アホくさー。馬鹿な子ほど可愛いという事でしょう。逆に、思う存分能力を発揮しようものなら ”何だ貴様ー!その生意気な態度はー!” とか怒鳴り散らされたりするわけですから、もういい加減やる気が無くなって来るのです。相手が自分の目の届かない、より高い場所に行ってしまわない事でも願っているのでしょう。元々上司は部下が自分より上へ這上がって行くのを恐れますから、大概、実力のある者の能力を低く査定しがちです。そんな雰囲気に嫌気がさして辞めたりしたら、”最近の奴は根性がないのー。” とか言ったりするのですから、話しになりません。自分に全て責任があるにも関わらず・・・。そう言えば、昔バイト先の先輩で、で自分はいつも風俗に行くくせに、顔を会わせると直ぐに男とは何だとか、仕事とはこうだとか、何時間も正座させて、説教ばかりする人が居ました。あれには本当に参りました。ですから、本来、組織における命令系統と能力査定は、別々にした方が良いのです。

それと、話しはちょっと逸れるのですが、今の時代は世代間の価値の統一がなされていないような気がします。私は結構古風な人間ですから、何か人とトラブルを起こした時、相手も当然頭を下げるだろと思って、自分の方から一応、頭を下げるのです。すると、今の人達なんてのは、こちらが退けば退くほどズカズカ人様の家の中に、平気で土足で上がり込んでくる様な真似をするのです。今の学校は閉鎖的で、極力、勉強以外の競走(例えば、服装とか。)を、極力抑え様としている様ですが、一方、アメリカでは、これとは逆に、平気で学校にバイクとか車に乗って来ます。地理的背景もあるのでしょうが、ただしそれは全部自分で働いて自分で”稼ぐ”という、暗黙のルールを大前提においているわけです。つまり、向こうでは早くから、来たるべき自立に備えてすべて自由にさせるのですが、こういうのが日本に入ってくると、ごちゃ混ぜになっておかしくなって来るのです。どういう事かと言いますと、子供同士で、競走することはするようになるのです。ただし、それは全部親にお金を払って貰っての事です。"自分で稼ぐ" というルールも何も無い、人のお金でドングリの背比べをするわけです。例はあまり良くないのですが、よく抱いた女の数を自慢し合う人達なんていますけど、これなどは最も歪んだ形の競走と言えるでしょう。アメリカの学生も、確かに遊ぶことは良く遊びますが、彼らは生活費は全部自分で稼いでいますから、そんなの自分達の勝手でしょう、という事も言えるわけです。それに社会的にもボランティアとか、学生用の仕事を、制度の上からサポートしています。でも日本の場合、親のお金で同棲はやり放題、中絶はし放題、こんなに至れり尽くせりの子供なんてのは、世界中のどこを見渡しても、そうざらには居ないでしょう。かといって、働けば働いたで、バイトをしたばかりに狡賢(ずるがしこ)い考えを身に付けて悪くなってしまうのですから、考えものです。という事で、結局、家の中でファミコンでもしておけ、という具合になるのです。その内どんどん永遠に大人になり切れない、甘ったれ成人で一杯になるでしょう。

元々アメリカは、個人の自由を目一杯認めている半面、人に迷惑を掛けた場合、徹底的な厳罰主義を採っております。これは日本人から見れば、かなり過激に思われるのですが、公開処刑をテレビ放映してみたり、電気椅子での処刑シーンを収録したビデオを販売したりするわけです。私もそのビデオは見ましたが、日本の絞首刑に負けず劣らず凄惨なものでした。死者に対する尊厳なんて、これっぽっちも在りません。さすがにこういうビデオを見たならば、少しは犯罪も減るだろうと、私自身、実感してしまいました。逆に日本の場合、常日頃から”あれをしてはいけません、これをしてはいけません”と口うるさく言うのですが、いざ裁判とかになると、温情判決が下るのが普通です。でもそこにアメリカの価値観が入ってくると、ゴチャ混ぜになって、おかしくなって来るのです。自由は目一杯与えられてやりたい放題の一方で、実際に犯罪を侵した時でも刑期は物凄く軽いのです。マットでくるんで苛め抜いて殺した少年が、無罪放免お構い無しになってみたり、女子高生コンクリート詰め殺人事件の少年などは、せいぜい禁固10年程度のものです。普通、大の大人でも、この様な残虐な行いを出来るでしょうか。おまけに女性の方はテレビで実名報道をされた上、全ての名誉を汚される。泣きっ面に蜂、まさしくやられ損です。(彼らを死刑にすべきだという意見がある事も、私は敢えてここで付け加えておく。)要するに、今の子供は手厚く保護されているにも関わらず、人の苦労の上であぐらをかき、それを当たり前の事だと錯覚し、自分達のスジを数にものをいわせて押し通そうとする。そして自分の飯の種である同僚が、いつ何処で逃げ出すかもしれないように常に見張りをしているのです。でもいつかは破綻が来るでしょう。日本の会社も外資系並に、仕事が出来ればそれに見合うだけの賃金を払う、出来なければ払わない、それで餓死したというのであれば、それはそれで彼らの運命というものです。これからの日本もそういう実力主義の結果論を取り入れていかなければ、到底国際競走の中で生きて行く事は出来ないでしょう。


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