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 その14 核兵器の使用は違法か合法か?

戦争というのも、滅茶苦茶やっている様に見えて、案外ルールというものが存在します。仮に今、自然破壊による汚染が進んで全人類が滅亡の危機に瀕し、その極一部しか生き残れないとしたらどうでしょうか。地球の浄化能力には限界がありますから、当然、どちらがより、よりよい種を残すに相応しい価値のある人間かどうか、白黒つける生存競走、いわゆる”全面戦争”という事になるでしょう。(そうならない事を切に願っているが・・・。)ここは一つ、私的な感情(つまり自分は日本人だから日本人だけが生き残るとか、或はキリスト教徒だけがメシヤに救われ、他の民俗は全て滅んでしまうのだという、ラジカルなもの。)を一切廃し、論理的な思考法、ここでは緊急非難の法則を取り入れてみましょう。

現行の日本の刑法においては、人を殺しても罪に問われない場合が2つあります。一つは正当防衛であり、もう一つは緊急非難による不可抗力です。これは、例えば船が難破して沈没しそうになった時、ようやく一人が掴まることが出来るだけの板切れが海面に浮かんでいたとします。そこへ二人の落水者が泳ぎ着き、その板切れの奪い合いを始めます。当然二人が掴まれば、両方沈んでしまいますから、双方共に死ぬ事よりは一方だけでも助かる方がより好ましいわけで、闘い合うことにより、より優れている者の方が生き残るのは自然の理にかなっているという考え方です。これと似たものにシャム双生児の例があります。一つの体を二つの頭が共有している場合、生命に危険のある場合には知能指数の低い方の頭を切り落としてしまうわけです。(一般にシャム双生児に見られる様な奇形児は、ベトナム戦争での枯葉剤に起因するものとの研究報告がなされております。)

これは、あくまで個人対個人の話しですが、それを国家間のレベルまで引き上げたものが戦争です。そういう意味では、中世辺りの戦争が一番理想と言えるでしょう。(戦争に理想もクソも無いとは思うが・・・。)昔の戦(いくさ)は歩兵を組んでの集団戦ですから、人間のありとあらゆる能力が試されます。例えば、軍の統率を指揮する上での兵法や、将棋のようなシュミレーション的能力、いわば情報処理能力が試されるし、兵糧や食料の調達を左右する経済力、そして武器や防具の改良を受け持つ技術力、(余談になりますが、三菱重工が開発した零型艦上戦闘機、属に言う”零戦”は、日本が誇る第二次世界対戦中の傑作中の傑作である。)或いは個人の運動能力に大きく頼ることになる白兵戦、はたまたそれをまとめることが出来るだけの士気を持ち合わせた人材など、人間の知恵と力を駆使しての総合的な能力が求められる事になるわけです。ですから、中世の戦で功績を挙げた英雄などは、黄金色の鎧とか着たりして格好良かったし、人々も彼らを真の勝者として称えたわけです。当時の剣による戦いは、”ヤーヤー、我こそは、”とかお互い名乗りを上げて正々堂々真っ向から戦かいますから、戦いたい者同志が、お互い納得するまで戦う事が出来るわけで、戦う意志の無い背を向けて逃げる者に対しては、決して攻撃を加えたりはしません。それが騎士道であり、一見、無謀に思えるような殺し合の中にも、厳然たるルールは存在していたのです。そしてその神髄は、相手の死があって初めて自分の生があるという、いわば倒す相手に払う最大の心からの敬意です。倒すからには全力で倒す、それが男が男に対して払う礼儀であり、男の美学でもあったのです。日本の武道において、これから倒す相手に深々頭を下げるのは、こういう理由があるからです。

もし人間の戦闘能力を厳正に評価しようとするならば、空手をおいて他には無いでしょう。相撲は投げ合いですから、重量の重いものだけが有利になってしまいますし、柔道は接近戦ですから、パワーばかりが重視されてスピードが劣る、剣道は逆にスピードが早すぎて、全てが運まかせという事になるし、プロレスはある程度パワーと空中戦を両立させていなければならない反面、打撃戦が今一つ、野球は動体視力とタイミングが大切、逆にボクシングは単なるパワー馬鹿(笑)といった具合に、それぞれ一長一短があります。その点空手の場合、パワー、スピード、反射神経、動体視力、防御力(打たれ強さ)、バランス感覚、コンビネーション、技、戦略、空中殺法、全てが要求されます。そもそも物質の持つ破壊力は F=mv**2(2乗と読んで欲しい。このエディター、2乗が表現出来ないのだ。) で表されます。例えば、正拳の重量が4倍になれば、その破壊力はやはり4倍になるに過ぎませんが、拳を繰り出すスピードを4倍に高めれば、その拳が持つ破壊力は元の破壊力の2乗倍、つまり、四四、十六倍という結果になります。これは相手の重量が自分より勝る場合でも、それをスピードで十分補えることを意味します。ですから、別に体が大きいからといって恐れる必要は全く無いし、逆に小さいからといってなめてかかると痛い目に遭うという事です。ただ空手の場合、顔面への正拳は、一発勝負的な感がありますから、急所ガードとフルコンタクトが理想でしょう。

戦争でも同じ事が言えるのではないでしょうか。戦闘機は戦闘機、戦艦は戦艦といった具合に、同じ兵器同志で戦うのがフェアというものでしょう。陸上の戦車部隊に、コンピューター誘導されたミサイルとか叩き込む人がいますが、ラリーカーとF1どちらが早いか議論するのと同じ様なもので、第一、戦う足場そのものが違います。ましてや核ミサイルや毒ガスなんてのは論外です。人を無差別に殺すわけですから、優劣を決める手段には全然なってないし、そればかりか戦う意志の無い民間人までも巻き添えにしてしまいます。例え核ミサイル攻撃で勝ったとしても、ほとんど悪者呼ばわりしかされないでしょう。日本の侍が邪魔者扱いされる様になったのも、信長が鉄砲を取り入れてからです。もし未来において最終戦争が起こったならば、世界各国の各々方よ。お互いフェアに戦いましょう。それで負けたというならば、お互い恨みっこ無しという事です。


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