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 その17 企業形態の変遷

文明の発達には、大きく分けて三段階あります。まず第一段階は、農業や漁業といった封建的体質を持つ、肉体労働の世界です。辛く過酷な労働の中、集団で事を遂行するゆえ、頑強でややもすれば独裁君主的な指導者が求められます。第二段階では、物質的な充足がより多く求められ、工業・生産業部門が発達してゆきます。実は前段階のような農業や漁業では、計算能力や情報処理能力に長けた人というのは、なかなか表に現れにくいものです。時代がそういう人材を必要としていませんから、途中で潰れてしまった挙げ句、荒くれ者ばかりが粋がる乱暴な雰囲気になってしまうわけです。そうこうしているうちに、もっと、効率的な生産をしようではないかという考え方から、マクロ経済学やミクロ経済学が起こり、知恵で力を支配しようというわけです。勉強が出来るか否かで人を選別する能力査定(はたしてそれが個人の実力の善し悪しを量る基準にはならないと思うが・・・)のシステムが出来上がったのは、前・近代の事です。その点、偏差値での振るい分けは、まことに能率的と言えるでしょう。人間、ひもじい時には、何を差し置いてもたらふく食って腹を満たしたいと思うわけで、より良い品をより安く、より多くの人々に商品を提供する大量消費社会にあっては、膨大な量の売買手続を管理する事務処理能力が、必然的に必要とされるようになるからです。

ハッキリ言ってしまえば、大学なんてものは人格者を育成する必要なんて全くないし、企業もそんなものは求めていません。なぜなら、「中流意識を持った豊かな労働者が大衆商品を大量生産し、消費するというのが、今の日本の産業構造であり、それが現在の日本の繁栄の基礎なのですから。そうであれば、エリート養成の場から中間管理者を大量生産するマンモス大学へと、大学自体が変質するのも当然であり、適当に遊べて適当に勉強のできる人材、つまりは、企業の求める平均的人間を大学が提供するのも当然の事なのです。大学がレジャーランド化しているのは、企業がそれを望んでおり、社会がそれに支えられているからにほかならないからです。」(抜粋)

食料品や衣料品などの生活必需品などの伝票を、瞬時に片付ける能力が必要とされる経理マンなどは、偏差値の高い大学の学生から採用していくのが一番合理的と言えます。なぜなら事務処理能力と偏差値は、比例関係にあるからです。ただそれでは会社の舵取りをする、ジェネラリストは育たないと思います。例えばこれが産業素材などの低不価価値、大量生産型の企業ならいざ知らず、アイディアが勝負のソフト産業の場合、偏差値の高い大学の学生が必ずしも有用であるとは限らないからです。実際、パソコンの普及によって単なる事務職は必要とされなくなって来ていますし、会社の規模が大きくなればなるほど、社風は硬直化していく上、集団を維持していく以上、画一的にならざるをえないのですが、時代の流れというのは常に変化してきていますから、方向転換が鈍く、いったん流れに乗り損なうと収拾がつかず、大混乱に陥るというのも、また、大企業にありがちな問題の一つです。

しかし時代は動きます。大量消費が支えている今の物質文明ですが、人間、”衣食足りて礼節を知る”と言う通り、徐々にソフト的な面、つまり、美術や宗教といった、心の充足を満たしてくれる分野を人々は求める様になるわけです。いわゆるこれが第三段階です。アメリカの初期のアーティストなどは最初、随分企業と軋轢を抱えていましたが、いまでは広く、社会に受け入れられている様です。

詰まる所、戦争などというものは、前代階の文明の破壊とも言えるでしょう。多くの人を殺し続けた暴君も、最終的に勝ち残って天下を取る奴というのは、意外や意外、自分とは似ても似つかぬ知識人を大変優遇し、手厚く保護するものです。ですから戦乱の武将などは、教授や歴史学者にはダントツの人気を誇っており、それがドキュメンタリーや歴史小説になったりするのです。日本の場合はどうでしょうか。戦前の日本は、軍人ばかりが威張り散らす階級社会でした。しかし世界の流れとは裏腹に、日本はそこから脱却出来ませんでした。結果、世界から孤立し、戦争に負けたのです。古い価値観は淘汰され、アメリカから新しいシステムを植え付けられました。そして学歴社会になったのです。今世界では、全てを効率で割り切る大量消費の経済至上主義から、人間の生き方そのものを突き詰める芸術・宗教の世界観へと移ろうとしています。そしてあらゆる企業がアーティストや文化人にスポンサードを提供しています。しかし未だに日本は学歴・偏差値の古い価値観に固執しているのです。

これからの日本では、ゲーム産業なんてのは意外と狙い目ではないでしょうか。以前、アメリカで、アタリショックというのがあったのを皆さんは御存知でしょうか。ゲーム産業の発達につれ、企業の大規模化に伴い、画一主義・学歴偏重採用に走ったところ、ゲームそのものを作るべき肝心のアイディアマンが全く育たなくなってしまったわけです。ですから今の日本の企業に溶け込めない、芸術家肌のアーティストなどは、10人前後で開発を行う中・小規模のゲーム会社に就職するなんてのも、案外良いかもしれません。凡そ優秀な経営者というのは、懐に余裕がありますから、場合によっては経済性を度外視して芸術性を備えた人材を非常に好待遇で保護します。逆にくだらない経営者に限って効率性ばかりを追求する傾向があります。ですから、もしあなたが自分を成長させたいと願うなら、企業に頼らず、一から自分で始める事をお勧めします。



抜粋 :「小論文 このネタで勝負」 樋口 裕一 著 ごま書房 800円



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