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 その4 就業時間

労働は、レジャーに比べれば苦痛です。従って、その苦痛の程度は、労働時間が長くなればなるほど加速度的に大きくなるわけですが、ただ単に長時間働さえ長くすれば、立身出世出来るというわけではありません。仕事が全く無いというのも確かに苦痛ですが、いつまでも会社にしがみ付き、執念深さだけで生きている人がいるから困りものです。もともとアルバイトは、就業時間が自由に選べる代わりに、内容としては単純作業が多いわけですが、ソフト産業が全盛の昨今、独創性や創造力を必要とする現代においては、一般の事務職のように、一日8時間働いて賃金がいくらと、早々簡単に就業時間だけで割り切れるものではありません。一番重要なのはその内容であり、極言すれば、アイデアがなければいくら長時間椅子に座っていようとも、何の利益も生み出さないわけです。そうやって時間で窮屈に縛り付けない方が、逆に良い結果を生み出す事もあるわけです。従ってここでは、正社員=重要な仕事、アルバイト=単純労働、という方程式は成り立たちません。日本の会社は年功序列型ですから、ある程度の年齢に達しないと、地位も報酬も得ることは出来ないわけですが、せっかく若い有用な感性を持ち合わせていながら、日本のような階級による閉鎖的な縦割社会の中で、無惨にも才能を潰してしまった人達が、何と沢山いることでしょう。結局傲慢な人ばかりが会社に居座り、素直な人間が虐げられてしまうのです。

リーダーには、必ずしも専門的な能力というものが常に必要とされるとは限りません。トップに必要なものは、その人が持っている能力を公平に引き出すことが出来る真美眼です。経理などの計算能力も、才能だし、その場の雰囲気を盛り上げるムードメーカーも、ギャグや、ユーモアのセンスを持っているという立派な才能です。語学の堪能な女性、これはとりわけ英語に言えることですが、生意気だとか言って虐待したりするから優秀な人材がどんどん海外へ流れていってしまうのです。文法的に日本語といういのは、主語と動詞の間にいくらでもとりつくろいの他品詞をいれることが出来ますから、えー、まー、そのー、何ですなー、一切記憶にございません。とか言ってどうとでもお茶を濁すことが出来るわけです。しかし英語の場合、主語の後にはすぐに動詞が来ますから、 ”Yes”さもなければ”No”とストレートな表現になりがちで、それが反抗的な印象を与えてしまうわけです。某ロールプレイングゲームのメインプログラマーなどは、その天才的頭脳を買われて高校のときから開発に参画していたそうですが、ただ専門卒というだけで手取り13万ではいくらなんでも納得がいかないでしょう。しばらくの間その会社で辛抱していれば、多少は出世も出来るのでしょうが、実際、彼のやった仕事が、年間何十億という利益を会社にもたらしているわけですから、いくら若いといっても、実力のある人には、それなりの賃金と社会的地位を与えるべきです。こういう日本の優秀な人材が、能力主義の外資系企業へ流出していくのは、非常に嘆かわしいことです。

外資系で思い出すのが、かのフロッピーデイスクの発明者、ドクター中松ですが、彼などは、最初は日本の企業へ売り込んだそうなのですが、門前払いを食らったそうです。そのまま外資系へ行ったら即決で採用でした。結局、日本のコンピューターメーカーは、アメリカへ莫大な特許料を支払っているわけですから、彼のした事は、悪く言えば裏切り行為になるわけです。しかしそれにしても、日本ではほとんどバカ扱いされていますが、アメリカでは政府の公式のパーテイーとかに呼ばれたりして、どこの州だったかよく憶えていませんが、”ドクター中松デー”とかいって、彼の誕生日が休日にまでなっているわけですから、たいしたものです。日本はそういうビッグチャンスをみすみす逃しておきながら、くだらない所ばかりに金をかけ、そのくせ一方では、やれ鉛筆の芯を大事に使えとか、ホッチキスの針一本無駄使いするなとか、小姑みたいなことばかりしているわけですから、"お前らもっとほかにやる事があるだろ" とか言いたくなってしまいます。まあ、時代背景もあるのでしょうが、今はテレビにしろ、パソコンにしろ、最初からできてる物を買ってくるわけですから、創造性など、なかなか育つ機会がありません。おまけに何か考案して、事業化に備えて資金を借りるため銀行へいっても、三期分の決算を持ってこいとか言われて、追い返されるのがオチです。これから何かやろうとする者にとっては、三期分の決算もくそもないのです。何か肩書がある保証人を連れて来いと言われても、そんな理解のある人がいるならば、最初から独立なんてしようとは思わないでしょう。学歴ばかりにこだわって、”よし、持ってけドロボー、このヤロー。”という潔さが日本の銀行には無いというか。大企業とばかり癒着して、個人融資を全く軽んじているのです。結果としてそれが不良債券をしこたま抱える羽目になったのですが。それに研究開発ばかりアメリカにさせておきながら、金になりそうな(実用化されそうな)おいしいとこだけ持って逃げるのは卑怯でしょう。猿真似ばかりしておいて、お株を奪うわけですから、卑怯と言われるのも当然でしょう。日本の場合、何か新しい考案をひっさげて新規参入していっても、既存の大企業が必要以上に潰しにかかろうとする為に、中小企業を保護育成する措置は全く採られていないのが現状です。

社員を採用する場合、大学卒がいいか、専門卒がいいかは一概には言えないでしょう。大学生などは、裏を返せばそれだけ画一的な考えしか出来ないという事です。性格が悪いから肩書を手に入れたいと思うわけであって、性格がよかったら、多少ボケた所があっても、それはそれで、結構大事にされるというもんです。昔、ゲームセンターのアルバイトをしていた時に、中卒でありながら、C言語でゲームを作る奴がいました。創造性という面では、むしろ専門卒の方が豊かなのではないでしょうか。結局、大学生というのは、将来何かの役に立つだろうという事を見越して、あそこまで金を出して遊ばしてやっている訳ですから、それが何の役にも立たないということが分かれば今までつぎ込んだ金をどうしてくれるんだとなるわけで、風当たりが専門卒よりも強くなることは十分覚悟しておくべきでしょう。


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