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 その9 貨幣のあり方

一般に貨幣は、交換手段、貯蔵手段、価値尺度手段の三つの機能があると言われおります。しかし端末機の発達した現代においては、カードやキャッシュがその代役を果たしており、特にカードは持ち運びが便利な事から、サイン一つで容易に買物が出来てしまうわけですが、これなどは金銭感覚が麻痺して来る事があるのです。大して使った覚えもないのに、後々から山のような請求書が来た、という経験は無いでしょうか。それを貨幣で支払うのですが、お金そのものを持ち合わせていませんから、使った量が感覚的、視覚的に、掴みにくいのでしょう。実際には、何ヵ月単位かのローンが組まれているわけですから、いわば借金をしているのと同じ事です。よく高い車をローンを組んで買う若い人がいますが、そもそもローンや借金というのは、利子がどんどん雪達磨式に膨らんで行くわけですから、(特に複利の場合、)今現在払えない様な人が、未来において払えるわけがないのです。おまけに、まだ支払いも済んでいないのに事故でも起こして廃車でもする羽目になったら、本当に悲惨です。私などは恐くてローンが組めません。それにあのカードとかキャッシュとかは、磁気で瞬時に個人情報を読み取るわけですから、データが外部に洩れる恐れもあります。どこで調べたのかよく分かりませんが、いきなり見ず知らずの相手からD・Mが送られてくるわけで、結局中身も見ないでゴミばこに捨ててしまうわけです。何か自分の行動一挙一投足が全て誰かに見られているようで、本当に気味が悪くなって来ることがあります。

貨幣と深い関係にあるのがインフレです。中世ヨーロッパ、新大陸のポトシ銀山から大量の銀が流入してきた時、貨幣の価値が大幅に下落して価格革命を引き起こしました。最終的に、大きな借金を抱えて隷属的な身分にいた小作農達は、晴れて自由の身になり、地主貴族は没落していきました。インフレは、債務者には有利に、債権者には不利に働くわけです。また、第一次対戦後のドイツでもインフレの嵐が吹き荒び、ナチス政権誕生の引金となりました。同じことが南米にも当てはまります。一説によると、コロンビアでは年間1000%のインフレが発生しているそうですから、一年後の物の値段が何と十一倍にもなるわけです。今まで苦労に苦労を重ね、辛い思いをして貯金をしてきた財産も、数年後には何の価値も無くなるわけです。これではモラルの破綻をきたすのも無理はありません。働くよりも、死ぬまでお金を借り続けて物を買った方がいいという結論になってしまうわけです。ペルーなどでは、子供の流浪化の挙げ句、徒党を組んで窃盗を行なうようになり、警察がとっ捕まえては務所にブチ込むわけですが、数日後には、腎臓だけ摘出された子供の死体が転がっているのです。で、日本の円を手にした警官は、さっさと辞職して何処かへ消えてしまいます。恐らく、組織的な臓器売買に日本企業が絡んでいる見込み大です。もっと笑ってしまうのになりますと、子供が風邪をひいたので、病院に連れていったら即入院です。金が払えないので、翌日迎えにいったら、頭を包帯でグルグル巻にされてるわけです。後でよくよく調べてみると、角膜がそっくりそのまま奇麗に摘出されていて、失明していたそうです。何で風邪を引いたぐらいで角膜摘出になるのか、どこをどう結び付ければそうなるのだろうかと実に不思議な思いがします。あの辺は殺人も多いし、もう無茶苦茶です。

余談になりますが、何で、人のお金を盗んではいけないのかと言いますと、それは地獄に落ちるからという答え方も出来るでしょうが、論理的にも説明できます。ここに、A、B、Cが居たとしましょう。三人はそれぞれ食べ物を作っていましたが、ある日、Aは働くのが嫌になり、Bの食べ物を盗みました。Bはいくらいくら食べ物を作っても盗まれるばっかりで働くのがバカバカしくなり、Cの食べ物を盗むようになります。Cも同様にして働くのがバカバカしくなり、Aの盗んだ物を更に盗むようになります。Aは更にBの物を、Bは更にCの物をというように、後は同じことの繰返しです。もうお分かりでしょう。結局、盗んでばかりで食べ物を生産する人が一人もいないわけですから、全部食べ尽くした最後はみんな飢え死にするだけです。よく、自分一人だけならいいだろうと思うかもしれませんが、みんながみんなそう思うと大変な事になってしまいます。お金を盗んだ泥棒を捕まえるために、日夜沢山の警察官が働いているわけですが、彼らの給料自体、自分達の働いた税金から賄われているわけですから、廻りまわって考えれば全て自分に掛かってきていることになります。結局、10円のお金を盗んだばかりに100円の税金を収めなくてはならないのですから、世の中からお金を盗む人が一人もいなくなって警察そのものが必要なくなったら、どれほど労働時間が短縮されて、しかも手取りの給料が増えるだろうにと、私なんかは思ってしまうわけです。ここで "囚人のジレンマ" という有名なお話しをしておきましょう。これは、A・B二人の共犯者がいて、それぞれを別々の独房に閉じ込めておきます。すると双方、共に考えるわけです。Aの場合、もし自分が黙秘してBも黙秘していれば罪は立証されず、無罪になる。しかしもしBが自白していれば、自分には反省の色が無いという事で死刑になる。では、自分が自白すればどうなるか。Bも自白していれば、二人共に情状酌量ということで、無期懲役で済むでしょうが、もしBが黙秘していれば、無罪という利益をみすみす逃してしまう事になる。ここでAは考えるわけです。最悪の事態だけは避けねばならないと・・・。結局、無罪か死刑かという大きなリスクを回避して、自白することにより減刑の道を選ぼうとするわけです。共犯者を別々の署で尋問するのは、こういう理由があるのでしょう。所詮、悪い事は出来ないということです。

お金の使い方について、聖書の中にも、おもしろい話しがあります。父親が、三人の息子にお金を分け与えて旅に出ました。放蕩息子の長男は、飲んだり食ったりして直ぐに使い果してしまいます。次男はそれを元手に商売をして、2倍にしました。三男は人に盗まれないように、土の中に埋めておきました。で、暫くして父親が帰ってきて後、彼はどの様に言ったでしょうか。実は、三男を一番諭(さと)したそうなのです。人類の進歩にしろ、経済の発展にしろ、革新を行う為には、必ず危険を伴うという事です。そしてその危険を恐れていては、人は決して成長する事は出来ないという事を、父親は彼らに伝えたかったのでしょう。


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