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 その1 日本的教育とアメリカ的教育

まず最初に言える事は、アメリカの家庭が子供にあらゆる可能性の機会を与えるのに対し、日本の家庭は、安全、確実、リスクの無い道を歩かせようとする事です。アメリカの文化背景がさまざまな苦難を乗り越えて来た者をヒーローと見なすのに対し、下層階級的な労働経歴を嫌う日本では、何故か成り上がり者を敬遠する傾向がよくあります。時々、”履歴書が汚れる”という言葉を用いますが、これなどは強いブランド志向が働いている為でしょう。

少し話しは跳びますが、昔私が夜中の公園を散歩していた時、誰かが子猫を捨てて行きました。それが病気で鼻水垂らして汚いし、よく泣くし、仕方がないので結局連れて返りました。一生懸命看病している内にだんだん良くなって、ようやく元気になりました。別に私は血統だとかそういうのには全然興味がありませんから、そのまま一緒に暮らしていたのですが、また誰かに盗まれてしまいました。私はその猫が元気に暮らしている事を切に願っているのですが、再び猫が病気を起こして鼻水垂らす様になった時、私は彼がいつもの如く猫を捨て、また何処からか別の猫を盗んで来る様な気がしてならないのです。

普段の生活を見るにつけ、アメリカの親は子供に挑戦する事を教えるのですが、日本の親は何でも好きなものを買い与え、愛玩動物に仕立て上げ、老後の面倒を見させます。しかし人間というものは、例えあぶない橋を渡ってでも、より困難な可能性に挑戦してみたいと思うものではないでしょうか。

本来、人には二通りのタイプがあると思います。一つは押え付けられるとそれで大人しくなってしまう人、もう一つは、頭を無理矢利押え付けられれば押え付けられるほど、益々抵抗を試みるタイプ、私は典型的な後者でした。よく子供に教育熱心な親が、頑張れ、頑張れ、と旗を振りながら応援するコマーシャルがありますが、私はあれなど見ていると、心の底から身震いがして来るのです。頭の中をプライドだらけに改造されて、当の本人は耐えられないその頭の痛みをしきりに訴えるのですが、それらは全く無視されて、それどころか親が自らその手で子供の口を塞ぎ込み、隣の奥さんに自分の息子の知能指数の自慢話しをするわけです。それを聞いた奥様は、それでは負けじと、今度は自分の息子の脳髄に、高性能コンピューターチップを植え込んで、耳から膿み、口から泡を垂れ流し、悶え苦しむ子供を尻目に、ウチの方こそとけしかけます。そして最後には脳ミソ全部をそっくりそのままスーパーコンピューターに取り替えられた、スーパー信彦マーク2ダッシュターボは、両目を赤く点滅させて、こう一言つぶやくでしょう。


”ピピピピ・・・ママ・・・ボク・・・ダレヨリモママヲ・・・アイシテルヨ・・・ピピピ・・・”




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