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当世時事辛口批評13
(2000年6月〜月末)






● 森総理の神の国発言

小渕首相がご健在の折、国会議事堂の一室で、テーブルの上座にドシリと構える彼の姿を見るたび毎に、 ”現場の親方さん” を連想さ れた方は多いだろう。(笑。) 実際、彼が稲川会系の披露宴に出席していたという話を聞いた時、 ”この人は随分、その筋の人の影響 を受けている人だな。” という感想を抱いた。 (因みに佐川急便はかつて稲川会のパトロンであった。)

土曜や日曜の昼下がり、 ”皇国なんちゃら” とか垂れ幕掲げ、大音量のスピーカーで喚き散らすがいせん車を見かけるが、実は、あの 人達は、平日、現場で重機をガッチャン、ガッチャン動かしている人達なのである。私も基礎工事のバイトはよくしたが、建設会社や運 送会社の事務所には、必ずと言っていいほど神棚が奉られているのだ。つまる所、次の世代の橋渡しの為の、踏み石的な役柄を背負わさ れている彼らにとって、天照大神(あまてらすおおみかみ)だけが唯一、すがることの出来る心の拠り所なのだが、何を隠そう、彼らこ そ満州やフィリピンで怒涛の侵略劇を繰り広げた第二次大戦の生き残りなのである。無論、その思想の礎(いしずえ)となっているもの が、 ”皇国” であり、 ”国体” であり、 ”神の国” である事は言うまでもない。
私のおじいさんは機械の製図が出来たので、機械工としてシベリアに出兵したのだが、何の特技も無い者は、それはそれは大変な目に遭 わされたそうである。鉄拳制裁による調練は、日本陸軍のお株だったのである。 ”芸は身を助ける” が、私のおじいさんの口癖だった。 今の知識階級の人達が、彼の言葉に過敏に反応するというのも、結局、その軍事国家の復興を恐れているからなのである。

一般に基礎工事と言えば乱暴なイメージが付きまといがちだが、私の体験記をお読みになればお分かりの通り、中にはしっかりした人物 もいるのである。別に基礎工事が出来たからといって自慢する必要はないにせよ、現場での作業は全ての労働の基礎である事もまた、事 実である。現場を知らない者がエリートを気取るのは、ちゃんちゃらおかしな話しなのである。
ハッキリ言おう。彼は現場を十分に分かっていないのだ。公共工事はゼネコンにとってなくてはならない命綱(いのちずな)なのだが、 表向きにはもっともな事を言いながら国費を貪る業者もいるというのに、そんな事はいざ知らず、彼らの生活の糧を支えるべく可動堰な ど無駄な公共事業を組むのだが、 (勿論、それはパーティー券購入を前提としたものである。) しかし今更、橋や道を造ったとて、こ れ以上車の売り上げが伸びるとは、到底私には思えないのである。
暇さえあれば料亭の一室に引き篭もり、良い業者と悪い業者のメリハリの付かない、ルーズな入札ばかりしてるから、非難の声が出るの である。 (その悪い業者というのは、斉木産業を指している事は言うまでもない。(笑。)) そもそもテレビ局の著作権侵害行為を知 りながら、シャーシャーとした顔で番組に出る事自体、既に政治家としての資格は無いのである。(笑。))

さて、神の国発言に際し、関連した記事をここに紹介しておこう。
近々自衛隊の武器制限の緩和処置が検討されるそうだが、国民よ。気を付けたまえ。ひょっとすると彼らはあなた方に銃口を向ける様に なるかも知れませぬぞ。軍事大国の復興を目論んで・・・。
報道番組はまだまだ健在さを保っているものの、スポーツ番組や芸能番組の過剰な演出を見ていると、私はついつい、兵隊を英雄扱いす る当時のフィルムを連想してしまうのだ。今でこそ戦争に行きたいなどという若者はいないだろうが、テレビ局がその気になれば、戦争 に行かない事はとても恥ずかしい事なのだという風潮を作り上げる事など、いともたやすい事なのだ。なぜなら彼らは今の若者がブーム や流行にとりわけ弱い事をよく知っているからである。そういう意味では、彼らは軍隊さへも動かす影の実力者と見てもよいかもしれな い。画面に映る芸能人に自分をダブらせる事無く、第三者的な客観的な視点で自分を見つめる事が大切である。

(※ しかし森さんというのも、次から次へと失態ばかりやらかすというか、本人には悪いけど、なんか笑っちゃうよなぁ。)




● トルシエ監督、お気の毒ですね。

トルシエ監督を解任するとかしないとか言うよりも、彼自身、日本のサッカーが性に合わないのだ。そもそも風土が違うのである。ヨーロ ッパのサッカーは気高い芸術的なサッカー、南米のサッカーは燃えるような熱く激しい情熱的なサッカー、そして日本のサッカーはガキン ちょのサッカー。(笑。) トルシエ監督はいいとこのお坊ちゃま育ちなので、無骨で下品な日本のサッカーが嫌なのである。
とは言え、彼も一度は日本のサッカーに監督として迎えられた身、何とか彼らを愛そうと心の葛藤を繰り広げているのだが、そろそろ限界 に近づいて来たといった所だろうか。ま、別に私はサッカーにはそんなに興味は無いし、嫌なら辞めちゃえば?(笑。) フランスから監督 の誘いは来ているし。当然、二度と外国からコーチは来ないだろうけど。(笑。)




● 目には目を、歯には歯を、復讐するは我にあり。

須藤 正和 君が殺されるその間際、ワゴンの中で、
「生きたまま埋めるのか・・・。残酷だな・・・。」
と一言ポツリ呟いたそうだが、おそらく彼はその時に、自分が死ぬ事を予見していたに違いない。そして自分が殺された事が発覚し、大々的にテ レビで放送される事も、既に分かっていただろう。言わば彼らへの復讐をテレビを見ている視聴者に託して死んでいったのである。
了解した。まかせ給え。
私が彼ら三人を、必ずや絞首刑にしてやろう。

今回の無期懲役の判決は、19才(?)という年齢に引っ掛かったものと思われる。しかし死刑が相当との国民感情が高まれば、上告において 死刑が下される事もあるだろう。三人全員かって? 当たり前ではないか。無論、三人全員である。
ついこの前、辛口批評12に於いて、パチンコ清掃員の記事を載せた時、 「悪いのはその意地悪ばーさん一人であり、どうして魚原(うおはら) やジャパンサービス中国の名前まで出さなければいけないのか?」 というメールを頂いた。しかし私はそれは違うと思うのだ。そもそも苛めは どの様な経緯で引き起こされるものであろうか。世界的な統計を見てみても、とりわけ日本の苛めだけが長期的且つ陰湿であるとの調査報告がな されている。これを理解する為に、チェスと将棋の例を挙げてみよう。
チェスは相手の駒を取った時、その駒は消滅してしまう一方で、将棋は取った相手の駒を自軍に取り込む事が出来るのである。つまり日本の戦国 時代には、降伏した敵方の兵を寝返らせ、新たに自分に忠誠を誓わせるのに対し、ヨーロッパの戦(いくさ)では、敵側の兵は全て皆殺しにする のである。もっと突き詰めて言うならば、そこに貫かれているのは徹底した個人責任の明確化であり、自分の意志で選択した軍である以上、それ に負ければ又、自分も殺されて当然であるという、厳格な義務の定義があるのである。この様な理由から、テロを起こした犯人達は、問答無用で 一人残らず射殺するのが欧米での常であり、そこには主犯格にそそのかされただけなのだという言い訳は、一切通用しないのである。
では今回の正和君の事件をとって見ればどうだろう。主犯格一人に対し、実行役二人、であれば彼ら二人 (正和君を含めれば三人) が協力すれ ば、A少年を取り押さえる事は充分出来たはずではないか。にも関わらず、なぜ二人は主犯格の命令に付き従い、実際に正和君を手に掛けたので あろうか。それは紛れもない、仮に事件が発覚しても、自分は唯、主犯格に従っただけだと弁解すれば、彼(A少年)より罪が軽くなる事をあら かじめ予想していたからである。しかも正和君を手に掛けた二人の内一人は、彼の親友だったというではないか。これは考えようによっては主犯 格より遥(はる)かに残虐な行いではなかろうか。
もう、お分かりの事であろう。苛めの本質はここにあるのである。もし、苛めが事件化された時、全ての者が共に等しく罰を受けるものであるな らば、苛めに加担しようなどという者は最初からいないのである。にも関わらず日本で苛めが一向に減らないというのは、裏を返せば自分は主犯 格から脅されたのだと涙を流して訴えば、自分は罪に問われる事はないだろうと、目敏(めざと)く計算しているからなのである。己はあくまで いい子ちゃんで、ばれなければ万々歳、もしばれても全て主犯格に罪を着せ、陰でコッソリ苛めを楽しもうという、許すまじき行いである。 (詳 しくは辛口批評7 「いじめについて」 再考 をご覧下さい。)
これは私的な見解になるのだが、私は ”ワル” というのは、そんなに嫌いではないのである。というのも、多勢に無勢、寄らば大樹的な考えの 奴が多い中で、ひかれたレールに甘んずる事無く、一人、矛盾だらけの社会権力に立ち向かうというのは、それはそれである種、 ”カッコイイ” 生き方だと思うからだ。要は ”ワル” いのが ”ズル” くなってはいけないのである。 (アニメ 「 湘南爆走族V ー 10オンスの絆 ー 」 を御参照下さい。) 逆に陰で反逆のヒーローを気取りながら、そのくせ曳かれたレールを飛び出す勇気は無い、就職時期が近づくと奇麗に髪を 散髪する様な奴、私は寧ろ、こんな奴の方が大嫌いなのだ。私が敢えてジャパンサービス中国の名前を出したというのも、それは全て彼女が一人 でやった事、私は一切存じません、などという言い逃れは、決して通用しないのだという事を、広く知らしめたかったからなのである。第一、考 えてもみてほしい。自分の社員が何をやっているのか分からない様な奴が、社長を名乗る資格があるだろうか?
以前、私は 辛口批評10 日本の死刑制度 に於いて、人を罰する目的は三つある事を述べた。この理念により、二十歳未満の未成年は情状酌量の 温情判決が下るのが慣例なのであるが、しかしこれは戦前の家父長制度の世の中で、虐げられた若者が、やむにやまれず勢い余って犯罪を犯して しまった場合においての緊急避難的処置であり、今の様にやりたい放題の若者が、壮絶なリンチの果てに人を殺害するなどという事などは、端( はな)から想定していないのである。であるにも関わらず、それを本人を更正させる為だの何だのと話しを持ち出す事自体、甚(はなは)だおか しな事なのである。

Aよ。貴様も真の男なら、潔(いさぎよ)く腹掻っ切って自決せい。
残りの二人の少年よ。Aはお前等の仲間だろ。お前等二人も男なら、言い逃れなどとセコイ真似は辞めにして、Aと一緒に死んでやれ。それが仲 間というもんだろう。責任を全てAに押し付けて生き長らえたところで、それが一体何になる? 空しい思いをするだけだぞ。自己嫌悪に苦しむ だけだぞ。これが最後の孝行だ。地獄の底まで一緒に涅槃(ねはん)で逝ってやれ。



( ※ 因みにここでいう ”A” とはA少年の事であり、掲示板のAさんの事ではありませんので、御了承下さい。)




● 井上被告の無期懲役判決

先の須藤君の件でも述べた通り、殺した人の数からすれば、死刑が妥当と思うだろう。そして無期懲役との判決を聞いて、意外に思われた方も いるだろう。

環状線の内側、又はその周辺に居を構え、実際にサリンの被害に遭われた方からしてみれば、九州のド田舎から出て来て自分達にたてつくドブ ネズミの如き大親分とその手下供は、殺して殺して八つ裂きにしてでも腹の治まらないおももちだろうが、地方に住んでる者から見れば、なぜ か不思議と ”正義のヒーロー” に見えてしまうのである。事実、全国放送に於いては連日連夜、ニュースキャスターがいきり立てて罵(のの し)るのだが、ことローカル番組に関しては、彼を悪く言う者はあまり見かけないのだ。又、同じ首都圏に住んでいる人の中でも、中央の ハイソサイエティーの人々と、東は小岩、南は新木場、もっと下がった大田区蒲田辺りに住んでいる人々とでは、微妙に見解が違ってくるので はないだろうか。これはおそらく自分達には直接被害の及ばない、客観的な立場にあるからだろうし、或いは彼らが憎しみを持って特定個人を 攻撃したものではなく、政権中枢の混乱を狙って引き起こした事も挙げられよう。いわば彼ら被害者は、中枢要人の身代わりとなって死んでい ったのである。私は全国放送を見る度に、本来ならば中央に向けられるべきその怒りを、無理矢理オウムに向けるべく、意図的に仕組んでいる かの様にさへ見えてしまうのである。

スターリンは言った。
「一人の死は悲劇だが、大量の死は単なる統計に過ぎない。」
( ※ スターリンの生い立ちに関しては、辛口批評10 「Yahoo! を斬る! 」 を御覧下さい。)
壮絶なリンチの果てに息絶えた須藤君などに対しては、強烈な同情の念を寄せてしまうのに対し、少数派が多数派を攻撃した地下鉄サリン事件 などに対しては、逆に ”してやったり!” という感情さへ抱いてしまうのである。実際、現場に居合わせた人達の中には、目の前に本当の死 者が数名出るという、よりリアリティーのあるアミューズメントパークのサバイバルゲームにも似た爽快感を感じた人もいるのではないだろう か。そしてサリンで亡くなられた方々に対し、競争社会での人生ゲームにおける勝者が敗者に仕向ける視線の如く、勝ち誇った様な眼差しで彼 らを見つめ、ほくそ笑んだ人々もいるだろう。

察(さっ)するに、この被害者の強烈なまでの怨念は、息つく暇も無い大都会・東京での、いがみ合いにも似た隣人に対する憎しみが、サリン 事件に転化されたものではないだろうか。そしてその深層心理にあるものは、”我が道を行く” オウムに対する会社の歯車に組み込まれた企業 戦士の ”嫉妬” と ”妬み” であるのかもしれない。私は決してオウムを弁護するつもりは無いのだが・・・。




● ラジコン批評

電子部品を扱う事の多いパソコンマニアには、同じ様に機械部品を弄(いじ)くり回すラジコンが趣味という人も多いだろう。実際私もラジコ ンはゲーム同様大好きであり、どの様なラジコンを造れば売れるのか、そのツボと秘訣は十分、心得ているつもりである。中古であれば20万 そこそこでプロと同じ開発環境が調(ととの)うゲーム制作に対し、ラジコン制作の事業化には少なくとも2〜3千万の初期費用は必要となる。 その為、ラジコン開発は一応後回しにしているが、ゲームソフトで一山当てた後にはラジコン業界にも進出するつもりであり、既に頭の中には 大凡(おおよそ)のシャーシー構成は思い描かれているのだ。 ( ※ 因みに ”ラジコン” という言葉を使うのはあまり良くないかもしれない。 というのも店名はよく憶えていないのだが、この言葉はどこかの個人模型店の登録商標であり、勝手に使ってはいけない事になっているはずな のである。従って雑誌やテレビでは ”RC” 又は ”アール・シー” と書くのが一般的である。)

ラジコンと言えば思い出すのが1980年代、マニアの間で一世を風靡したラジコンブームである。その火付け役を果たした田宮の貢献度は大 きいだろう。パーツの一つ一つに至るまで ”キラリ” と光る抜群のセンスが冴え渡り、金属部品を多用した凝りに凝ったハイメカニズム、そ して整然とブリスターパックに並べられたパーツ群という芸術的なまでの演出は、正に買った者の心をワクワクさせる不思議な魅力があったの である。更に田宮のキットを魅力付けたものの一つに、精密なディテールのボディがあったろう。金属シャーシーに載せられた美しいまでのシ ルエットは、当時の少年の心を魅了して止まなかったのである。
が、悲しいかな、ここに落とし穴があったのだ。当時のラジコンの動力はモーターなどの電力が主流であり、金属パーツを多用したシャーシー と、重い樹脂製ボディーを組み合わせた田宮のキットは、その魅力を余す事無く引き出すにはモーターでは少々力不足だったのである。 (他社 は早くからポリカ製を導入していた。) この様な経緯もあり、他社製マシンと競争する模型店主催のレースが開かれる度毎に、 ”レースでは 勝てないタミヤ” というジンクスが広まっていく事になるのである。

当時電動カーで田宮と覇権を争ったのが、京商とAYKである。京商はなかなか車造りのうまいメーカーなのだ。コストと性能のバランスが取れ ているのである。格好良さでは田宮に一歩劣るものの、FRPのダブルデッキに樹脂製の足回りという京商独特の黄金スタイルを確立し、常にレ ースの上位を独占するのである。しかもボディーに於いてはミラーや装飾部品を極力廃し、ヘッドライトはシールのマークを貼り付けるだけとい った様に、維持費が殆ど掛からないのである。田宮バギーチャンプを購入し、少し転ばせただけでライトのパーツが紛失し、何度もスペアボディ ーを買い替える羽目になった人は多いだろう。
AYKは金に糸目を付けない性能重視で有名だった。RX1200、RX2000、RX3000 といった往年の名機を輩出し、 (この車名を 聞いて懐かしいと思われた方はなかなかのツーである。) 電動オンロード初の四輪独立懸架の名目で、 (実はABCホビーが最初なのである。 半月の差ではあるが・・・。) 鳴り物入りで市場に投入されたのがサイクロンである。この車に対するAYKの思い入れは並々ならぬものであっ た。精密に削り出されたパーツ群は、正に王者の名に相応しいものである。勿論私は即、購入した。 (定価:26、800円) んがしかし、ス イングアームのフロントサスと、リヤのダブルウイッシュボーンの相性が頗(すこぶ)る悪く、少しパワーを架けただけですぐにスリップしてし まうのだ。その為全国のショップから返品が相次ぎ、AYKはこれが原因で倒産してしまったのである! おお! 恨めしや、サイクロン!! 卸し 元から急かされて、調整が煮詰まっていなかったに違いない。とは言え何の事は無い、その解決策たるや、後輪のタイヤを大径小幅なものに履き 替えさえすればこのスリップはものの見事に解消されるのである。この様な簡単な事にも気付かずにサイクロンを蔑(ないがし)ろにしてしまうと は、日本のショップも何て馬鹿者なのだろう。 「豚に真珠」 とはこの様な事を言うのである。しかし私は今までありとあらゆるラジコンカーを 見てきたが、このサイクロンほど美しいシャーシーデザインを持つ車は見た事無い。私は今でもこの車を大切にガラス戸棚に飾っている。勿論、 完動・美品、欠品無しである。マイクロサーボと当時まだ発売されたばかりであるFET素子をふんだんに使った三和スーパーボルテックスアン プ(瞬間最大電流、何と、1360A!!)を搭載し、目一杯、進角をつけた強力なGZ240モーターと小さなギヤ比との組み合わせもあいまっ て、そのトップスピードたるや現在の田宮F103Rシャーシーをも上回るだろう。私はこのサイクロンを時々棚から取り出して、薄暗い部屋の片 隅でボディーやシャシーを眺めながら一人ニタニタにたつくのが私の密かな楽しみなのだが、もしマニアの方がそれを100万で譲ってくれと言わ れても、おそらく私はそれを渋るかもしれない。売れる車の条件が ”うまい” ”早い” ”安い” ならぬ ”美しい(カッコイイ)” ”速い” ” 安い” であるならば、田宮は ”安く美しい” 、AYKは ”速く美しい” 、京商は ”速くて安い” という住み分けがあったのである。

それがどういう事だろう。田宮は主要メーカーであるにも関わらず、そのプライドを捨て去って、京商の流れに追随してしまったのである。特に メッキとクリアーパーツを組み合わせた美しいヘッドライトが田宮製ボディーの最大のウリであったというのに、それをシールデカールで間に合 わせるとは一体、何事であろうか。特に最近の樹脂製バスタブ一体成型の安易なシャーシー構成は、どう見ても手を抜いているとしか私には思え ないのである。田宮は田宮で良い所があるというのに、どうして人の真似をするのだろう。その証拠に見よ。Yahoo!オークションに於いて は当時15、800円であったロータス79のキットが20万、タイレルに至っては何と、30万円以上というプレミア価格で取り引きされてい るではないか! これらは全て金属シャーシーとプラスティックボディの組み合わせであり、性能だけで言えば到底今のマシンの比較になるもので はない。にも関わらず古いキットがこの様な高値で取り引きされるその背景は、キット全体に貫かれている、”かっこよさ” を追求する当時の 田宮の姿勢にあるのである。
しかしこれには今の実車マシンに魅力的なマシンが存在しないという、大きな理由もあるだろう。6輪タイレルを初めとする当時のF1GPは、 いわば金持ちが私財を投じて見物する道楽的な面があり、レギュレーションも大変緩(ゆる)く、ドライバーの安全性を完全に無視したシャーシ ーは、極限までに軽量化が施され、それに無謀とも思える様な強力な大排気量の大型エンジンを積むものだから、よくドライバーが死んでいたの だ。それは当(まさ)に走る棺桶(かんおけ)とも言える、文字通り命を賭けたモルモットレースなのだが、それでも束の間の富と名声を求めて ポケットに詰め込んだ10ドル札片手に、南米から出て来る命知らずのドライバー志願の奴は多かったのである。だからこそ当時のドライバーは 個性的な奴が多かったし、自分のヒーローであるお気に入りの選手が炎の中で死んでいった時には、心の底から哀しみと哀悼の涙を流したのだ。 造るからには最高性能を目指す。それが人の命を預けられた当時の開発者の理念だったのである。 ( おすすめビデオアニメ : 松本零士制作  「ザ・コクピット ー音速雷撃隊ー 」 超高性能ロケット推進エンジンを搭載し、人が乗り込み敵艦めがけて体当たりする人間爆弾 「桜花(ろう か)」 の物語です。)
それが今ではどうだろう。F1は一部の金持ちの道楽から大衆の楽しむモータースポーツへと鞍替えし、ドライバーの命を最優先にレギュレーショ ンは強化され、本体は全てコンピューターで設計されるものだから、どれも似たり寄ったり全く個性が無いのである。それが良いか悪いかは別とし ても、今のマシンより昔のマシンの方がより個性的で遥かにカッコイイという事は、確実に述べる事が出来るだろう。 (ましてや唯の視聴率稼ぎ の為だけに、たいして実力も無いマッチを起用しようなんてのはもはや言語道断である。テレビ朝日よ。彼にそんな金を出す余裕があるんだったら、 さっさと私に著作権侵害に対する賠償金を支払って頂きたいものである。マッチよ。頼む。これ以上、日本に赤っ恥をかかせないでくれ。私は決し てカップヌードルは喰わないだろう。(笑。))
ところで余談になるが、当時一度だけ6輪タイレルが日本に来た事があるのを御存知だろうか。鈴鹿で公式レースが行われたのだが、その時警備上 のミスから観客を巻き込む死亡事故が発生し、責任追及を巡って日本の協会側と本部との間でゴタゴタがあったのだ。これ以降、最近に至るまで日 本でF1グランプリが開催される事は暫くなかったのだが、まあ、これは苦い話になるのでここでは書かない事にしておこう。
しかしここ数年、田宮は大きな転機を迎える事になる。これまでの電動の伝統(シャレでは無い。)の殻(から)を破り捨て、エンジン部門に参入 したのである。ガスパワーの有り余る馬力を手にした今、当にかっこよさとハイメカニズムを得意とする伝家の宝刀、田宮の真骨頂を思う存分発揮 する時が来たではないか! 滝博士よ。何をしておられるのか。呑気(のんき)に悠々閑静を楽しんでおられる場合ではありませぬぞ。今こそあなた が復活する時が来たのである。さもないと私の様な新参者に先を越されてしまいますぞ。

さて、話は変わるが、田宮はなかなか組織力のある会社である。電子部門とメカ部門をうまく取りまとめているからである。京商などはメカやエン ジン関係に熱心な典型的な職人気質の会社であり、プロポを含む電子部品関係は、全て外部メーカー供給となっている。もともと電子屋と機械屋は 水と油の対比の如く、あまり仲が良くないのである。電子理論は0と1、正か負かの完全なデジタルの世界であり、多くの知識を必要とする当に理 論そのものの世界でもあるのだ。それ故ここに勤める人達は、大卒理系のプライドの高い人達が多いのである。一方、エンジンはエンジンで理論そ のものはそんなに複雑ではないにせよ、こと高圧縮率を誇る模型エンジンに関しては、その調整・メンテナンスがとりわけシビアなものとなり、気 の遠くなる様な長年の経験と、ある種独特の ”カン” みたいなものが必要とされるのである。特に最近は手を油まみれにしてエンジンを触るのを 嫌う人達が増えてきたせいもあり、せっかく10万、20万という大金をはたいて高性能模型エンジンを買って来てはみたものの、結局、一度も始 動させる事すら出来なかったという人は多いだろう。一般的な模型エンジンの回転数は、毎分5万回転以上と高速で、その時の湿度や温度に微妙に 左右されるのである。その上住宅事情の悪化もあり、騒音もうるさく墓所もとるエンジン模型はどちらかと言えは敬遠されがちになって来ているの だ。読者の様に車を持っておられる方ならば一切合切トランクにぶち込んで運べるものの、私の様に始動用具一式をわざわざ自転車のかごに載せて 運んでいると、しまいには、もう、いー加減面倒くさくなってくるのである。 (とは言え最近の入門用エンジンカーセットは、直ぐに始動出来るよ うに調整済みとなっているので、ご安心下さい。)
前置きが長くなってしまったが、ラジコンとはこの様に異なる二つの業種から成り立っており、この二つの分野が絶妙な調和をもって始めて究極の マシンが完成するのである。もし田宮がこの二つの異業種をうまくとりまとめる事が出来たなら、他社を大きく引き離す事が出来るだろう。私も将 来の事業化に備え、ゲーム開発の合間を見つけては電子回路の勉強を独学でしている次第なのである。

話を進めよう。プロポも又、ラジコンの魅力の一つである。私が今まで見て来たプロポの中で一番美しいデザインをしたものは、双葉の FPー3E GX、及び FPー3FG である。3EGXはスティックタイプ、3FGはホイールタイプ、共に高級2チャンネルプロポに属する姉妹品である。 特に3EGXは黒を基調とした樹脂製本体にゴールドのアルマイト加工が施されたアルミパネルが被せられ、(3FGはシルバー) アナログメータ ーの緑と赤の配色もあいまって、実に趣(おもむき)のある雰囲気を醸し出しているのだ。しかし当時の私には 45、000円という本体価格は到 底手の届く物では無く、モデルチェンジの季節を迎え市場から消え去って行くかに見えた。ところがある日、雑誌の記事に、在庫処分と称して10台 限定ではあるものの 15、000円というプライス価格で広告に載っていたのである。私は直ぐに代金を現金封筒で送ったのだが、売り切れました とのメモと共に手数料500円をさっ引かれて現金がそのまま送り返されてきた。私はその後、全国の双葉の支店に展示品でもよいから在庫はないか と電話をかけまくったのだが、結局、見つける事は出来なかった。それにしても子供であった私がどのようにして15、000円もの大金を工面した のかは、未だに不明である。汎用2チャンネルプロポで一番美しいデザインを持つものが同じく双葉の FPー2LG であろう。FPー2Lはそれか ら付加機能を取り除いた謙価版であり、実際私が昔使っていた物である。私は先日、Yahoo! オークションにて、このFPー2Lを発見し、中 古で尚且つ動作保証は無いものの、2、900円という劇安価格が設定されているのを知ったのである。しかも他に入札している者は誰もいない。私 はなんとしてでもこのプロポを手に入れるべく、入札の動きを固唾の飲んで見守っていた。お陰で私以外に入札する気配は見当たらず、もはや私の ものだとタカをくくって気を緩めたその瞬間、何と終了30秒前になって突然見ず知らずの赤の他人に横取りされてしまったのである。私としたこ とが何たる不覚! してやられたり!! 貴殿にとってはただのガラクタに過ぎないだろうが、私にとっては大変思い入れのある、何としてでも手に 入れたい品物なのだ。にも関わらずそれを不意に横取りするとは何と無慈悲は奴なのか!!

うおおおおおおおおおおああああああああああああああおおおおおおおおおお!!!!!
誰だ貴様まああああああああああ!!!!!!
うおおおおおおおおおおおおあああああああああああああおおおおおおおおお!!!!!
出てこい!コラああああああああ!!!!!!
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああおおおおおお!!!!!
名を名乗れええええええええええ!!!!!!
うおおおおおああああああああああああああおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!
今度の週末は楽しい週末にはさせないいいいいいいいいいいいい!!!!

ラジコンの好きな方にはなかなか興味のある内容だっただろうが、全く興味の無い人にとってはコイツら、何てバカなんだろうと思われた事だろう。 私もそう思います。わざわざ最後まで読んで頂いて本当に有り難う御座いました。






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