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と、日本人に聞いたなら、恐らく99%の人達が、”はい” と答えたことに違いない。知っての通り、日本の歌は、ほとん どラブソングが占めてるが、アメリカのヒットチャートを覗いて見ると、ラブソングとその他の歌の割合は、おおよそ半分 半分くらいなのである。そもそも曲を作る方法は、大きく分けて二つある。一つはリズムやビートに合わせて曲を乗せてい く方法と、歌詞に合わせて曲を付けていくやり方だ。これを概して、前者をビート系、後者をメロディー系と呼ぶのだが、 日本の曲は圧倒的にメロディー系が多いのだ。無論、これには、日本人の気質がメロディー系を好むという、大きな理由も 挙げられようが、それより何より、日本の歌詞をリズムの曲に合わすのは、とても難しい事なのだ。なぜかと言うと、日本 の歌詞は、五・七・五 を基本に構成されており、これをビートに無理矢理合わせると、どこかおかしくなってしまうので ある。逆に英語のアクセントは極めて柔軟に出来ており、どんな曲にも合う為に、ロックを好むアメリカ人には、実に好都 合な事なのだ。

更にアメリカのロックビジネスを支えたものに、パソコンによる、DTM(デスクトップミュージック)があるだろう。D TMとは即ち、音をデジタル化する事で、容易に切り貼り・ペースト出来るのだ。以前、私が、”著作権侵害リスト” で、 盗作だ、盗作だ、としつこく喚(わめ)き散らしていたあの曲も、実はPC−98 Cバス用の中古のサウンドボードと雑 誌の付録に付いていた、無料の音楽作成ソフトを使って作り上げたものである。このパソコンは16色しか発色出来ず、 モニター信号を傍受するのはとても容易(たやす)い事なわけだが、今は全ての環境を、Windowsに乗り換えて、解 像度は1280×1024ドット、電源コードにフィルター装着、更にサブモニターにも別の画像を表示させている為に、 これを傍受するのはほぼ不可能と言えるだろう。故にもし、私に用事がある時は、遠慮無くいつでもメールをしてほしい。

昔、宇多多ヒカルの曲がワイドショー番組に取り上げられて、”7回目のベル〜” の ”なっ、なかいめの〜” と歌う言い まわしが、実に斬新なフレーズで、彼女はまことの天才だと、評論家が言っていた。実は宇多多ヒカルの父親は、古くから DTMを使った曲を手掛けている人物で、アメリカ音楽界では結構、名の知れた人物なのだ。彼女のヒット曲に関しても、 曲を作ったその上に、歌詞を強引に乗せた為、あの様な言いまわしになるわけで、別にそれを意図して歌っているわけでは ないのである。そう言えば、日本の戯曲にこういう面白い話しがある。あるお寺の小坊主が、悪戯(いたずら)目当てで、 狛犬(こまいぬ)の向きを少し変えてしまったのだが、そこに訪れた身分の高い高僧が、この狛犬の向きが、実に趣(おも むき)があると、まじまじと見入るという、笑い話がある。私はあのワイドショー番組で、彼らが話しをするたび毎に、こ の話しを思い出してしまうのだが、それは私だけの事であろうか。この様に日本の歌詞は五・七調が多い為、必然的に歌に ギターのコードを合わせるメロディー調の曲になってしまう。とは言え、ギターのコードは数をあえれば膨大で、その組み 合わせは無限にあるにはあるのだが、それでもコードを基調に作った曲ばかり聴いてると、何となく、”飽き” が来るの である。その点、宇多田ヒカルの曲の場合、ギターのコードを使わずに、DTMを使ったリズムの曲に日本の歌詞を乗せた 為、それを始めて聞く者に、とてつもないインパクトを与えた与えたわけだが、私の様に昔から洋楽を聞いている者が宇多 田ヒカルの曲を聞いたなら、こんなどこにでもありふれた様な曲が、どうして今更はやるのだろうと、実に不思議に思って しまうのである。(ファンの方、どうか怒らないで頂きたい。)

又、日本の歌謡界における慣習で、特筆出来る奇異なものの一つには、歌にもまして必ず歌う本人が、画面の前に、全面的 に押し出される事である。恐らくこれは、TVと音楽業界が、タイアップを組んでいる事もあるだろうし、ただCDを売る だけでは宣伝に費やす元手が取れない事もあげられよう。つまり、レコード会社でCDデビューする事は、半ばテレビやC Mに、笑顔で出演することが、強制的に義務付けられているのである。さらにこれらに拍車を掛ける要因に、日本人の求め るものが、音楽性そのもの云々(うんぬん)よりも、偶像崇拝的対象物を求めるいることもあるだろう。その為、二十歳未 満の若者が、CDデビューをきっかけに、全国のコンサート会場を、分刻みの超過密スケジュールで引っ張り回されること になるのだが、このあたりになると もはやアーティストというよりは、ほとんど肉体労働者に近いのではないだろうか。(笑)

しかし日頃からインターネットを利用している読者の方なら御存知だろうが、ネット上にはテレビで流れる曲よりも、遥か に良い曲は星の数ほどあるのである。これはそれらの作り手が、帰属を嫌う、独立志向の個人の作で、その上ゲームやイン ターネットが実質的に、テレビと敵対関係にある為に、CMとタイアップする事は無いのだが、いわゆる、”有名”人が歌 う ”有名” な曲など比べ物にならない様な、無名の隠れた曲はあるのである。例えばゲーム会社のカプコンからは、専属 バンド、アルフ・ライラがオリジナルCDを出してるし、以前、セガが開発していた、”アフター・バーナー” のサントラ 盤は、ハードロック派のマニアの間で高い評価を受けており、実際、私もカセットを買って、何度も聞いたものである。( 現在、テープにカビが生えており、聞く事が出来ない。今でもCDで出ているのではないだろうか。) 又、SNKのキング ・オブ・ファイターズシリーズのBGMは名曲で、現代的なエレキギターのサウンドと、重厚なオーケストラをミックスさ せた曲調は、まさに聞く者を圧倒させる。更に少し昔に目を向ければ、元祖ストリートファイターでバーディーと対戦する 際に、バックに流れるBGMに、胸を掻き立てられた人々は多いだろう。一方、インターネットにおいても、ベンチマーク ソフトに類する3Dマーク2000(3Dボードの性能を計測するソフト)のBGMは有名で、これなんかパソコンショッ プのデモプレイに使われている事も多いので、一度や二度は耳にした事もあるだろう。これらはほとんど、利潤追求から手 を離れ、無料で提供されている。そう、彼等はあなた方の純粋な賞賛を求めているのだ。読者の方も、この広大なネットの 中を冒険し、自分だけの本当の宝物というものを、見つけ出してみてはどうだろう。

ところで私が少年の頃のはやりの歌は、アイドルものが全盛で、金の刺繍(ししゅう)で ”オレに付いて来い” と縫い込 んだ紫色のハチマキを、頭にしっかり結び付け、”ボォッギイッ! ボォギイッ!! 愛してえぇるぅぜえぇ〜〜いぃっ!! !” と歌える事が、女にもてる必須条件だったのだが、私はそういうのがイヤでイヤで堪らなかったのだ。だから私はク ラスに内緒で密かに洋楽に聞き入って、悦に入っていたのだが、中でも特に、ケニー・ロギンスの ”フットルース(foo t Loose)” は衝撃的だった。これは当時の映画、「フットルース」 のサントラ盤からシングルカットされた最初 の曲で、映画そのものは余りヒットしなかったのだが、このLPからなんと16曲もの歌が全て全米チャートNo.20位以 内に入るという、とてつもない快挙を果たしたLPなのだ。特にその主題曲である、”フットルース” は、チャートNo. 1を8週連続で獲得するという、大変なヒットを飛ばしたもので、当時の騒動を知る人も多いだろう。満たされない思いで 悶々とする日々を送っていた当時の私は、まるで餓えた野獣が獲物にむしゃぶり付く様に、狂った様に何度も何度も繰り返 して聞いたものである。

毎日、毎日、働き詰め・・。今日もいつもの様にタイムカードを何気に押した。
規則に縛られ、ウンザリする事の繰り返し・・・。
オレはこんな事をする為に、この世に生きているんだろうか・・・?
「オイ、若いの。諦めな。幾らどんなにあがいても、幾らどんなに粋がったって、
やがては分かる時が来る。そいつが人生って奴なのさ。それが生きるって事なのさ。」
隣で働くオヤジは言った。果たして本当にそうなのか?
いや違う・・。いや違う・・・。もっと他にあるはずだ。
もっと大切な生きる目的っていう奴が・・・。
そう、オレ達は自由なんだ。誰にも足を縛られない、フットルースなオレ達なんだ!

ヘイ! ジャック!! 何をそんなところでしてるんだ!!! オレと一緒にさわごうぜ!!!!
ヘイ! ケイト!! 何をそんなに気取ってるんだ!!! ヒールを脱いでこっちへ来いよ!!!!
ヘイ! マイク!! 何をメソメソしてるんだ!!! オレと一緒に騒ごうぜ!!!!
ヘイ! ボブ!! 何をプンプンしてるんだ!!! 朝まで一緒に飲み明かそうぜ!!!!
そう、オレ達は誰にも足を縛られない、自由で気ままな、フットルースなオレ達なんだ!!!!!!

とまあ、こんな感じの歌詞であったろう。その他、同じ傾向の歌手として、ダイヤー・ストレイツやブルース・スプリングス ティーンなどが挙げられる。薄暗い小さなアパートの片隅で、一人唯物社会に背を向ける、寡黙な男の姿を謳いあげるブルー スの ”ダンシング・イン・ザ・ダーク” や、(日本ではこういうのを、”暗い” と言うのだろう。) ブラリと立ち寄った 電気屋で、偶然居合わせた、顔中ヒゲ面(づら)の親方さんが、テレビに映ったロック歌手を眺めつつ、奴等は金の為に夢を 売り歩く事が出来るんだと、皮肉を込めてトクトクと自分に説教をする様を描いた、ダイヤー・ストレイツの ”マネー・フォ ア・ナッシング(金より尊いものは無い)” など、これらの曲を、懐かしく思う人も多いだろう。その他当時のヒット曲とし て、ティアーズ・フォア・ティアーズの ”シャウト” なんてものある。あの例のペットボトルのスポーツドリンクのCMで、 シャウト、シャウト、と絶叫している、あれである。彼等の別のヒット曲では、”エブリバディ・ウオンツ・トゥー・ルール ・ザ・ワールド(Everybody wants to rule the World : 全ての人が世界を支配したがってい る)” などがある。甘いマスクと美しい歌声で女性からも人気を博した。

また、アメリカのCDデビューの形態は、多種多様さまざまで、アラン・パーソンズ・プロジェクトの様に顔やプロフィールを 一切出さない、LPの販売のみを行なうグループもあるし、ハービー・ハンコックの様に歌詞は歌わず、音楽のみで全曲構成さ れるものもある。その他異色なものとして、戦争を題材にしたものがあった。名前は忘れたのだが、最新のビートを効かしたテ クノロックをBGMに、アメリカ兵が後ろ手に縛ったベトコンを銃殺する瞬間や、各社、戦闘シーンのスクープ合戦に明け暮れ る、メディアの様子を写した白黒フィルムが流れる中で、終始一貫、ひたすら ”ナ・ナ・ナ・ナ・ナ・ナ・ナインティーン。 ナイティーン。ナインティーン。” と息つくひま無く繰り返すなんていう、一風変わったヒット曲もあった。(確かこのナイン ティーンというのは、ベトナムに出兵した兵士の平均年齢が19才という意味ではなかったろうか。) これなんか完全に社会を 風刺した、時事問題を題材としたものであるのだが、社会問題を扱った曲は、絶対にヒットしないというジンクスのある日本とは、 大変、大きな違いである。又、父の暴力、母の不倫など、家庭崩壊の悲しみを歌った、プリンスの ”ビートに抱かれて” などは 全米チャートNo.1を8週連続で獲得したし、少し時代は遡(さかのぼ)るが、ラジオから流れる自分のカントリーソングの数 々が、最新のCG技術と派手な演出でアレンジされて、企業宣伝の公告媒体に利用される事に悩み苦しむ往年のポップスターの苦 悩を描いた、バグルスの ”ラジオスターの悲劇” なんてのもあった。

ボクはいつもキミの曲を聞いていたよ。
キミのあの懐かしい曲がラジオから流れて来るのを、
ボクはいつも夢中で聞いていたよ。
ある日、キミの曲がすっかり作り変えられて、テレビの映像になった時、
キミが心の底から悩んでいるのが、ボクには痛いくらいに分かったよ。
ボクは今でもキミのことを憶えている。
今でもキミはボクの中に生きている。
そう、キミはボクらの最初のラジオスターだった。
そして、キミはボクらの最後のラジオスターだったんだ。

映像がラジオスターを殺したんだ!! (Video killed the RadioStar !!)
映像がラジオスターを殺したんだ!! (Video killed the RadioStar !!)
ボクらが求めているのは本当のラジオスターなんだ!!
ボクらが聞きたいのは本当のラジオスターの曲なんだ!!
Video killed the RadioStar !!!
Video killed the RadioStar ・・・・
Video killed the Radio ・・・・
Video killed the ・・・・
Video ・・・・
・・・・

又、私が崇拝する シンプル・マインズ の曲は、やたらめったら哲学的で、これまた全米チャートNo.1を獲得した彼等のヒット曲、 ”アライブ・アンド・キッキング” などは、

理性と欲望の狭間(はざま)の中で、
キミがその光を失う時に、
キミは死を取る? それとも生を求めるか??
さあ、どうする? さあ、何を思う? キミならその時、どう動く??
どうする、どうする、キミならどうする???

としつこく問い詰められて困ってしまうのだが、確か日曜の昼辺り、電撃戦隊 なんちゃらレンジャー とかで似た様な歌がなかったろ うか。(笑)

これらの様に、重くてメッセージ性のある歌詞に、熱く激しい、突き抜ける様なエレキギターのビートを乗せた、コテコテのハードロ ックをアメリカ人は心の底から愛するのだが、(私もその一人である。) 実は同じアメリカ人の中にでも、そんな曲を忌み嫌う人 達はいるのである。そんなハードロック全盛の音楽界に、彗星の如く現われたのが、あのビートルズであった。彼等は今までの強烈な エレキギターの金属音に、批判めいて罵(ののし)り歌う、ロックの伝統を打ち破り、ラブソングの様な優しい歌詞に、ギターのコー ドを軸とする、メロディー重視の曲を乗せて歌った事が、当時としてはとても革新的なことだった。かくしてそれらの人気が飛び火し て、世界中でビートルズ旋風を巻き起こしたことは読者の方も御存知であろう。しかしここで注目すべき着目点は、それらが受け入れ られた国々は、あくまで裕福な国であり、私の様に現場上がりの人間で、搾取の対象になって来た、南米の植民地の人々が、働く事か ら開放された、イギリス貴族階級のボンボンが、遅れて芽生えた反抗期を、正当化せんと意図する様な甘ったれた曲を聞いた時、思わ ず腸(はらわた)が煮えくり返る思いをする人々が、少なからずいるのも事実であり、かくしてビートルズ人気は世界の音楽ファンを 二分することになるのである。

そう言えば、近年、アバの曲が日本でリバイバルヒットしているそうである。アバというのはスウェーデン出身の4人組のクループで、 美しいメロディーと二人のボーカルの絶妙な和音があいまって、実に素晴らしいサウンドを聞かせてくれたものだった。今の様に派手 な割にはあまり良い曲が無いという、日本の歌謡界の実状を、暗に示唆しているものかもしれない。ま、何にせよ、これら海外の名曲 に、柔軟なアクセントを持つ英語の節が、大いに貢献している事は間違いない。

では日本人が世界に通用する曲を、作る事は不可能なのか? 答えは ”否(いな)” である。アメリカのチャートの壁は大変厚く、テ レビを賑わす横文字の名前をあしらった、オリコン常連の日本のバンドが英語で歌を歌っても、それが全米チャート 200位以内にも 入らないという現実からも、その敷居の高さが覗(うかが)えよう。が、しかし、しかしである。そんな実力派揃いのアメリカで、数 ある強豪を押し退けて、日本の歌詞で歌を歌い、この全米チャートNo.1を獲得した人物が、過去においてただ一人だけいる。そう、 もうお分かりであろう。それが、あの 『上を向いて歩こう』 を歌った、坂本 九さんである。今の人には信じられない話しだろうが、 これは本当の事である。今まで述べてきた通り、日本の歌詞は五・七調の節なので、ビートのテンポに合わない事が一般的だ。しかし九 ちゃんの 『上を向いて歩こう』 を、今直ぐここで、口ずさんでみて欲しい。歌詞は五・七調でありながら、ビートのテンポにうまく合 っているではないか。これが従来ビートを好むアメリカ人に、素直に受け入れられたその上に、自国の曖昧(あいまい)な英語の節に、 半ば慣れてしまった彼等の耳に、この五・七調を基本に据えた日本語が、実に新鮮に彼等の耳に聞こえたのである。それにもまして彼等 の心を捉(とら)えたものに、見栄や流行(はやり)を気取らない、九ちゃんの人柄にあったろう。そして彼の体から溢れ出る、真摯( しんし)で純粋な歌声に、人種や言葉の壁を超え、世界中の人々が、心の底から喝采の拍手を送ったのである。知っての通り、あの御巣 高山の航空機事故で、九ちゃんは旅立ってしまったが、あの九ちゃんの優しい微笑みと歌声は、いつまでもいつまでも世界中の人々の心 の中で、生き続けることに違いない。

更に話しを進めよう。健在、日本の歌謡界で活躍している人物で、私が高く評価している人物は、これまた人並みな意見になるかもしれ ないが、やはり何と言っても、小室 哲哉 氏がダントツだろう。私も彼の曲を何度か聞いた事があるのだが、それらを注意深く聞くたび 毎に、彼があらゆるジャンル、あらゆる国の音楽を、勉強している事が徐々に分かって来るだろう。しかもそれを単に真似するだけでは ない、美しく繊細なメロディーとして、日本の歌詞と調和をさせる、抜群のセンスがあるのである。そして日本人としての日本の曲とい うものを、自らのアイデンティティーの証とすべく、もがき苦しみ捜し求める、真摯(しんし)で直向(ひたむき)な行いが、多くの日 本人の心を打つのである。最終的には残念な結果に終わったものの、彼の作ったバンドユニット ”グローブ(地球)” には、一人の日 本人として世界に貢献したいという、彼の純粋な願いが込められていたのである。心機一転、ここはTMNに立ち返り、また昔の様に活 躍して欲しいと私は思う。

また今の歌謡曲で、カリビアン音楽が流行しているそうである。正式名称はよく知らない。あの ”キンコンカンコン” と綺麗な音色を 奏でる、太鼓を使った南国の風流な曲である。カリビアンドラムととでも言うのだろうか。このカリビアンドラムに関しても、自然に生 まれたものではない。長い間、奴隷として働かされた植民地の人々が、その悲しみを癒す為、いろいろ楽器を作った中で、それら大半の 太鼓や楽器は反抗精神を育てるとかで、唯一演奏する事が許された楽器がカリビアンドラムなのである。日本人がこれらの曲を始めて聞 いて、南国というのは本当にのどかでノンビリした国だと思うのだが、その優しい音色の裏には多くの人々の悲しみが宿っているのであ る。それを勝手にラブソングに作り変え、CDにして売るのだが、それらの歌詞を現地の人が聞いたなら、一体なんと言うだろう。また ”カポエラ”という、両手を前に差し出して、体を捻(ひね)って蹴りを出す、独特の格闘技がこの地にある。(鉄拳3のエディを使っ た事のある人ならお分かりであろう。) これなども奴隷として手錠をされている際に、白人達にばれぬ様、踊りに見せかけ回し蹴りの練 習をしていたものが、そのまま技になったというわけである。まずそれらの曲を聞く前に、一度南米大陸の植民地の歴史を勉強されてみ ては如何だろうか。








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